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福岡伸一vs.西田幾多郎

ひろのひとみさんから、分子生物学者・福岡伸一氏の、「日本人は何を考えてきたのか=近代を超えて=西田幾多郎と京都哲学派」のEテレでの番組があるので興味深いとFace Book経由で入りました。

この番組は私も見ました。もともと難しい内容で、咀嚼して身になるには時間がかかるでしょうし、忘れるのも得意ですから大きなことも言えませんですが…。
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で、その周辺での”ひとりごち”。

ご存知のかたも多いでしょうが「Dynamic equilibirium(ダイナミック・イクイリブリアム。生命=動的平衡)」というここ一連の私の作品タイトルは、福岡伸一氏のベストセラー「生物と無生物の間」からとっています。ノーベル賞を狙った彼らの研究チームの手から”命”がスルリと逃げていくくだりは、やっぱりそうなんだという腑に落ちる結末で、どこか安堵するもがありました。

福岡伸一vs.西田幾多郎_d0329286_91874.jpg高校時代、生物教師が興奮しながらDNAの発見を講義し「生命を人工的に作り出す一歩」だと目をかがやかしたのを、私は心の中で(そんなはずは無い)と冷ややかに聞いてました。
今では逆で、それもありと思っていますが、人が造るというより条件を整えれば自然に派生するだけの事と思っています。

生も死も特別で特殊なことには思えないのです。この世界があること自体が自然なのなら、生命もまた自然なことです。私の「一元論」はそんな単純な直感から成っています。TVでは『矛盾する二項の(”動的な”)自己同一』という捉え方で、「一元論」という表現は最後までありませんでしたが。

「禅」「瞑想」、「仏教」[真宗」、「分子生物学」「素粒子論」「量子力学」、「宇宙論」「統一理論」…学究的に追うのは専門家に任せるとして、我が身の処し方としては腑に落ちて来た物のみが生き方の指針にならざるをえませんし、無意識や直感として働いてこそ個体にとって意味があることではないかと思っています。

フォークソング全盛の頃「傘が無い」という歌がありました。テレビでは偉い人が天下国家を論じてるが、出かけねばならない自分の当座の問題は傘がないこと=井上陽水でしたよね。芸術表現の面白い、微妙な所をうまく捉えています。

エンターテーメントたれとは申しませんが、芸術だって無理に理屈っぽく説得するものよりスーッと腑に落ちる方が良いに決まってます。もつれた糸を見事に解いたような、すっきり作品が理想なのですが…今もってなかなか…です。虫人
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