人気ブログランキング | 話題のタグを見る

デッサン4[鳥の記憶」

デッサン「鳥の記憶」2点.18×25cm,中田虫人,2011.11.8
デッサン4[鳥の記憶」_d0329286_10511729.jpg

 コフネコさんたちが鍋の会で「滝」に呼ばれた日、ピアノ教師の川端先生にもボランティアで台所に立ってもらった。
「前から思ってたのだけど、コフネコさんの赤って血の色じゃあない?」
と先生は思いあまったニュワンスで訊いた。コフネコさんが何と答えたか思い出せないが、ま、そう思う方もおられるかも、ていどの応え方だったと思う。

先生は、かわいがっていた子猫を自分の過失で死なせた時、かなり大きなそのネコの油絵を描いている。彼女は多分泣きながら描いたろう。私ならたぶん趣味のピアノでも弾きまくってでたらめな作曲をしたに違いない。

私はまがりなりにも絵や図で生計をたて、彼女はピアノを教える事が糧だった。なのに本当に表現したい衝動にかられたときは先生は画家になり、私は音楽家になるのだと思う。人が表現することと、その道のプロであろうとすることとは少し違う。落語家や歌手が、身内の死の悲しみを落語のように表現したり歌唱はしないだろう。何かを作品として表現するとき、表現者はどこか冷ややかで冷静だ。子供の絵や趣味の制作、失恋で破り捨てた未投函の手紙なら感情のまま泣きながらかくかもしれないが。

 コフネコさんの赤は血そのものの色ではない。比喩的にはそうも言えようが、あれは感覚的に計算されたものだ。「念底の装い」展のポスターにある自然な写真と彼女自身がデータを作成した同じ時の作品写真パネル(当館蔵)を見比べればすぐわかる。あの強烈に誇張された色彩の叫びは、彼女の心がめいっぱい歌い上げる「生命の讃歌」なのだと思いたい。先生もきっとそれを言いたかったのだろうと思う。

ところでスペース滝のコフネコ作品は当分ここに残留しそうだ。彼女はまるで「」のように世界を飛び回っているみたい。ブログではヴァヌアツとかブータンとか、とても「滝」にはかまってはいられない状況らしいので。

 そうかあ…鳥って希望や憧れの象徴であるべきなのかも。私の鳥はかなり怖いし、やっぱ念底なんだ、かも。彼女からはホント元気をもらうなあ。気をつけていってらしゃい!(中田虫人)



スペース滝
925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88 TEL 0767-23-4401

by spaceTAKI | 2011-11-13 10:47 |  虫人(Mushind)profile | Comments(0)