羽咋ハクイ能登語源10

羽咋(ハクイ)能登の語源、とうとう10回目。「ケタ」をやります。
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 能登の遺跡や古墳、祭りや相撲までが韓人と関係していると書いた物は多いのですが、それ以上の言及はないようです。だからどうなのか、どうしたのか、とても不満が残ります…。

古代の研究書のほとんどが、縄文語、アイヌ語、韓半島語を抜きに書かれているようです。万葉集などの中に、不明語または誤訳として古代朝鮮方言を含んでおり、研究すべきとの指摘の本もあるのですが、対象古資料が乏しくて難しいようです。

寺家遺跡でのあつかい

寺家遺跡の報告書では「ジケ」と「ジケイ」の区別はせず、同じ「寺家」と扱われていますが、アイヌ語で読むと二つは違った意味になりましたよね。

同報告書では、大伴家持が「気神宮」を訪れたと記した箇所はあるのですが、おおむね「気」と一貫して書かれているようです。万葉集がこの神社名の初見で、748年より前に「氣多」と書かれた文献はないはずです。祭祀の主体がこの時期、私から公に移ったとすれば、氣太が氣多に変わる前の、この「太」は語源上重要です。 (「万葉がな」読みかたでは、氣太神宮=けたのかむみや)

先に軽く触れたハワイ大教授は「太」をダと読んで、アイヌ語の「上代日本語の『気太』は keda→keta[keDa]=『星』」だと意味を導いています

私の場合は別の解釈ですが、やはり「太」が「多」では困ります。

現代韓国語では、太と多は「て」「た」と異なる音です。同書では韓人とのかかわりを言ってますし、弥生期は少数派の外来系人が上層で支配した文化ですから、韓語であることを疑うわけで、上代表現では「気太神宮」と書くべきと思います。

「氣太」は気の占いです

■ 韓国語で読みとく

『氣』は「(기)[ki]」で、『太』は「(테)[tæ]」です。辞書のみの知識ですが、ここでは「ケ」の発音はないので、「キ・テ」で語源さがしをしてみます。

は漢語から来ていて、日本語と変わらない意味です。一方、太(テ)という漢字は「太鼓、太刀」と使うように「打つ、断つ、切る」の意味があってもよさそうですが、漢語、韓語、和語とも「太=大、泰」で、叩く、切るの意味は有りません※1

ところが面白い事に、[테]という純な韓語のばあいは
ひび、器の割れ目
②農作業の虫除けで振り回して叩き、音を出す布絡みの物具、
の意味があります。

①は「ふとまぎ(太占)」という大和言葉を連想します。鹿などの骨を焼いて行う割れ目柄の占いで「太兆、鹿占(しかうら)」とも書きます。
②も農作業がらみなので「気太(キテ→キデ)」の場合は自然の気を農作業上で占う意味があったと断定していいと思います。
報告書では私的祭祀に雨乞いを例にあげていますが、農作関係のもろもろの神事があったことでしょう。稲作は生産と宗教がセットになった文化でした。

アイヌ語で読みとく

さらに面白いのはアイヌ語です。「けゥ(kew)」は体、死体、の意味で、「た(ta)」「たー」は、打つ・切る・断つ、の意味です。韓語のテ(=ヒビや割れ目)と語根歴を同じくしてるかもしれません。日本語では「ふとい」ですから大和言葉の影響には思われません※2

アイヌ語解釈では「けゥた」は「骨を打つ、切る」の意味になり、"気太"の意味にかなり近い。縄文人(やアイヌ系縄文人)は太占(ふとまぎ)は行わなかったでしょうが、見知りはしてたでしょうし、先住人は稲作受容とともに宗教文化も吸収継承していったはずです。
同じ「氣太」と書いて上層部は「キデ」と言い、縄文アイヌ系人は「けた(=韓人発音ではケダになる)」と言ってた同時期がありそうです。つまりこの時期の人によっては「けた(けた)」「けだ」「きで」の3つのなまりで発音されていた可能性があります。
気太(기더=kite キテ)→kide キデ
 韓語では 母音に挟まれたテ(ㄷ=t)は濁音(=d)に発音されます。


実際、寺家遺跡では祭事跡らしい焼土跡が出ています。もっとも8世紀と時代が下がり、フトマニ程度ではない焚火-鎮火行事の大型焦土跡で、対岸の渤海(ぼっかい)国使節がらみの国家祭祀になっています。でも「太」と墨書きした両面を赤く彩る(赤く焼いた)特別な土師器が祭祀跡から出ていて、意味が深そうです。

能登にのこるナゾ言葉は現代の韓語でもかなり解決できそうで、北陸に縁の有る大国主(=東側の出雲人たち)たちも韓半島と関わる人であった可能性が、より大きくなりました。

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[△写真は気多神社境内]
「鹿占(しかうら)」の完品実物が石川県金沢市の畝田遺跡(弥生末~古墳時代初期)から出土しています。肩の平たい骨に焼き金棒で衝いたり、裂くように長い穴をあけたりしてヒビを誘っています。鳥取県西部では発掘数が多く、農事以外の緊迫した状況が想像できます。

ちなみに気太神宮と同様に重く扱われた気比神宮(福井県敦賀)の意味は「笥飯(けひ)神宮」とも書くように、宮中の食料調達所の意だそうです。

以上、当地の「気多」では、ゆかりの折口信夫博士説『水戸神の上陸口「(けた)」が語源』というのよりも説得力ありと自負しますが、いかがでしょう。中田虫人ムシンド
※1 「太=大、泰」で、大きい、すぐれたの意味。韓語の「太」は「(테)[tæ]」ですが、「大」は「テー(테ː)[tæː]」と音を使い分けています。意味は同じ。
※2 大和古語のたたくは「叩く・敲く(たたく)」で、「つづけて打つ」意味です。
お気づきのように韓語の「テ」には太いのほかに(間接的に)"打つ"意味があるようですから、日本古語としても「太太く、太々く=たたく」とあっていいように思いますが、タ(太)にその意味はなく、辞典では「ふとい」しかありません。(ただし母音に挟まれた韓語タ[Ta]の場合TはDに発音され、漢音のダ[]に通ずることになりますが)

したがって、「太占(ふとまぎ)」の項にはわざわざ『((「ふと」は美称))』と付加して意味のない言葉と断定しており、「ふと」の項では、
ふと=(接頭語)立派な意、尊い意を表す語。「–麻迩(ふとまに=太占)にうらへて」(古事記)』
と記しています。が、太兆(ふとまぎ)記述だと「立派な尊い兆し」の意になりますから、占い名称としてはやや不自然な印象です。太兆=”ヒビによる兆し”だと納得です。
韓語の「テ=ひび」という本来の直裁な意味を失っている訳ですが、こうした大和語上の移ろいは、語自体が外来語であることによるあやふやさに起因するとも考えられ、「太占、太兆(名称ではなく内容)」がより古い大陸渡来系文化だと暗示しているとも考えられそうです。

古語解釈は、やはり韓語やアイヌ語と古日本語研究を関わらせるべきだと言う思いがします。大和古文を読むための辞書ですから不要とも言えましょうが、本来の日本語や日本人はそれだけではない、もっと広範囲な根を持っていた人々だったのは確かなことでしょうから。虫人

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by spaceTAKI | 2014-02-25 11:17 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)