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石田人形の感性

インスタレーション?

インスタレーションだ、と私は思わずシャター。合唱大会で脱いだ中学生たちの靴の群れだが、整然と並ぶ姿に意思を感じて、口を開けた頭骨のカタコンベを連想してました(羽咋小学校体育館)。
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感性で考える

さて、石田大喜氏の制作態度には、時々意表をつかれた思いがして考えさせられている。

 いまだ二十歳代というコフネコトモ子さんと東間(とうま)章記氏は金沢美大の油絵の同窓生だが、石田氏はさらに下学年の彫刻科の出で、当館の出品展示を通じて縁が出来たのはたまたまのことだ。私は、油出身の前者ふたりの作品制作過程や考え方は同感でき、いわば”同類”の感じをどこかで持つのだが、石田氏にはちょっと面食らわされる。それが私の精神的空白部分を刺激するかららしい。

その、最たるものが「感性で考える」とでも言えるモチベーションではないかと思う。美術家だから、皆さんが感性で考えているはずだし、その結果が形(など)に結実して作品化されるので、何をいまさら知れたことを、と批判されそうだが、石田氏を見てるとその分かり切ったはずのことを再考してみたい衝動にかられてしまう。

縄文のトーテムポール

 カナダの島グワイハナス。廃墟の集落が世界遺産となっていて、トーテムポール群がある。南に下り西海岸、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)の造形といえばトーテムポールだが、これら文字のない文化の造形への人の思いは、今時とは違う何かが期待されていたことだろう、と容易に想像できる。

話を地元にひきつけると、能登内浦、半島の先に近い「真脇遺跡」から縄文時代の装飾彫りの丸太が出て「縄文のトーテンポール」という愛称で有名だが、縄文人(北方系)は遺伝子的にはロシア中央の少数民族ブリヤート人と共通のミトコンドリア遺伝子を持ち、氷河期に南下した子孫と考えられている。ネイティヴ・アメリカンもその頃北アジアからアメリカに移動した民族で、”トーテムポール造形”の共通が興味深い。(トーテムポールの創成時期は不明)

 縄文土器を作った人々を縄文人というが、岡本太郎を持ち出さずとも、その造形やトーテムポールは、少年時代の心をくすぐる力があって、雑誌などで知っての印象が深い。この造形上の感性は真脇の縄文のトーテンポールでも同じものがあるだろう。書籍類などはこうした日本の造形に、必ずといえるほど祭祀(さいし)を結びつけての解釈が出て来る。異論はないが、私が注意を促したいのは、当時の作者の造形そのものに対する感覚の能力の深みや鋭さである。(トーテムポールに宗教性は無い)

文字の無い時代、視覚や聴覚からの刺激の受容は、私たちが想像をする以上の何かであったはずで、それをすぐに宗教には関連づけて理解したとはせず、むしろ現代人も持ちえる人間に共通の受容性の何物かとして、注意深く考察してみたいのである。

石田作品の美意識

 具体的にはこんなことがあった。石田氏が初めて当館に来たおり、会場に落ちていた紙くずに目を止め「これも作品かと思った」と言った。
同様に、1960年代だったか、北陸中日美術展の公開審査会場で、気鋭の2評論家(針生一郎氏ともう一人は東野氏だったと思う)が、ある金属立体作品に付いていた油の薄い皮膜を作品の中の要素と見るべきか、ただの汚れと見るべきかをしゃがみ込んで観察し合ったことがあった。これらは、門外漢の方には理解しがたい些末事(さまつじ)のように思われるかもしれないが、実は造形とは何かという本質とかかわった事象とも言え、一考に値する。

 美意識は時代により変わる。「美」がつくとすぐ「小ぎれい」と同義に思うかもしれないけれど、現代美術の表層にみるごとく必ずしもいわゆる美しいばかりではないし、それゆえにこそ巾広い芸術の可能性を開く道となりえた。だが、そのことで逆に感性をにぶらせるようなことになってはならないと思うのだ。端的に言わせて頂くと、コンセプトや発想のユニークさオリジナリティーといった有効性をしっかりと造形的感性で裏打ちしたい、という提案なのだ。もっとも、そんな作家であれば既に注目されているかもしれず、そうは行かない処で悩んでいる方も多いかと思い、そこの辺りを考えてみているつもりなのだが…。

石田人形の感性_d0329286_14414359.jpg 石田氏(愛知県)は他の展覧会の間に、当館の所蔵品になるはずの”紙の人形作り”をしており、途中経過の写真が届いた。私はその出来映えに意をつかれた。事前の会話やメールでのイメージと、写真がひと味違っていて、彼の美意識の中に放り込まれたとでも言おうか、彼の立ち位置が自分の中には無かった事に改めて気づかされ脱帽したのだ。ここでは一枚のみ紹介するが、子供の像の文字の大きさ違いの3体の試作品を作り、どれにすべきか迷っているところだとコメントが添えられていた。

 今日でも、例えば日展の彫刻会場は等身大以上の裸婦像が林立しているはずで、石膏がFRPになっても体力がいるジャンル。彫刻家は土方仕事と自嘲する方もある。が、石田氏の印象はむしろ反対で、紙細工好き工作少年が今も続いているキャラと言えそうだ。院生卒業展は映像作品だったが、紙細工の戦車やネコ軍団がロボット怪獣と戦うといったコマ撮りアニメだった。これは現代日本の"かわいい!文化"や"オタク文化"と通じた世界だ。

NHKで「かわいい」と「クール」を番組にしていて面白く見たが、特に「かわいい」という美意識は「私はこれが好き」と同義語で客観的指標がなく、会話を円滑にする日本的なおもてなし文化が底流にあるものらしい。殺伐とした海外の精神文化からはうまれにくく、だからこそ今世界が「かわいい」を認知したがるのだという。石田作品は独自の美意識から生まれる独善的側面があり、その意味では"かわいい!世界"の一員ともいえそうだ。

ところが、単にそれのみでは済まない。当館所蔵品で一番反応がいいのが、彼の「紙の会場監視員女性像」。子供からお年よりまでが思わずリアクションする人気者になっている。どこにその秘密があるのかが大きな問と私は思う。来館者はご覧になったと思うが、香港製と思われる歌って踊るサンタさんも置いてあり、衣装を変えてガラス越しの表通りに置いていた時があったが「気持ちが悪い」と評判が悪かった。ドンキホーテ像もまあまあだが、彼女ばかりがなぜもてる?この違いは何なのか。

造形言語のディテール

すでに書いたように、石田氏の現代的な感性の繊細さが、根本的な所でこれを支えているのは確かだと私は思う。コンクリートに落ちている紙くずに鋭く反応する造形感性こそが、彼の作品に命を与えている。昔の人は「ディテール(細部)に神が宿る」と、造形芸術の力と不思議さをたたえた。石田氏の紙細工はディテールまでガッチリ出来ていると言いがたい時もあるが、意図する感性世界には徹底的にこだわっていて、明らかにそれが見るものを惹き付け、納得させる。たぶん、彼は作品に表現された何倍もの理想(イデー)を心のうちに持っていて、無意識にそれを我が手で現実化したいと願っているのではないか。

ここに至るまでに、石田少年は紙細工オタクとして多くの工作を作り続けて来たのだろう。その間彼は言葉には成りにくいさまざまな視覚言語を発見し、確認し、身につけ、表現して来た。その"言語"の豊かさ雄弁さが、今日我々を説得し、その感性世界のとりこにさせる。

 まだ文字の無かった時代、心を伝える最たるもの一つは歌唱吟詠で、もう一つは造形だったろうと私は思っている。縄文土器の魅力や力の背後にある当時の造形に対する鋭い感性は、その担い手だった女性たちが目にしたある種の理想形、神聖な炎の中に見る生命の輝きのようなものだったろうか。その時代に生きてみて初めて共感し見いだせる造形言語が「火焔土器」などの傑作には秘められており、その意味で現代人の私たちがその真の理解に至ることはないのだろうと私は思う。

しかし、オタクやカワイイのように、共感しあうものが表現者の表層でしかないとしても、十分その魅力は感受できる。私が言いたいのは、作者の思い入れの方は、その程度のものではないはずということだし、感性の上で深められていく長いプロセスがあってこそ視覚言語たりうると思うと言いたいのだ。出来ない、とか、理解されない、とか言う前に、まずは自分を信じて自らの感性と表現技術を探し、試し、深めて行くしかないと改めて思う。さて、皆さんはいかが思われるだろうか…。
虫人

スペース滝
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925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88  TEL&FAX 0767-23-4401


by spacetaki | 2014-10-30 15:28 | Comments(0)