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カメラマンの立ち位置

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"カメラマン”たち

 国民的な人気映画だった山田洋次監督「男はつらいよ」全48作のうち、カメラを趣味にするキャラクターが出て来るのは二作。竹下景子の弟で中井貴一が演ずるお寺のぼんぼんがカメラマンを夢見て上京して行くもの[32作]。もう一作は、年に一度の撮影旅行で夜明けの琵琶湖にレンズを向ける主婦かたせ梨乃[47作]。

1983年と1994年公開だから、この二作は日本のバブル期(1986年12月から1991年2月)に前後3,4年加えて含み込む時期にあたる。前者は華やかなプロカメラマンを夢見る青年。後者は、経済的に豊だが満たされぬ専業主婦で、趣味のカメラにささやかな憂さ晴らしする都会女性。

 こうしてふたつのキャラを見比べると、前者は今や社会的職業として成り立たず、後者は趣味以上の手軽な遊び風俗になったと言えるほどの変化を遂げたと思う。だれもがスマホ片手に撮ってネット発信という時代。少なくともカメラマンという職種がおいしい仕事として成り立つとは言いがたい。
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アーティストとしてのカメラマン

 ではアーティストとしてはどうか。これも厳しいと思わざるをえない。
当館にも写真作品の数点展示があり、カメラ人も出入りされる。時折「何を佳しとするか」作品の評価基準が話題になる。(写真ジャンルに限ることでもないけれども)

今や、静止画像でクリエーティヴな表現を追求出来る余地はほとんどなくなったとも思える。あえて言わせて頂くなら、映像やアニメがCPを駆使して覇を競うこのごろ、かつて”芸術”として確立していた「写真の場」自体が趣味の領域に転落?してしまったとは言えないだろうか。

 趣味は趣味として大いに結構で、その中から評価に値するものが生まれる可能性までは否定はしない。では、こんな時代、趣味をアートの域にまで高め得た仕事があるとして、それはどんなモノなのだろうか。アーティストを自任する者はその答えを自ら創造して行かねば自身が立たない。

 また誰かが職業カメラマンという仕事を為さねばならない職場もあろう。我が甥っ子の一人もTVカメラを担いで休暇もままならぬ生活に明け暮れているらしい。しかし、それはアートティスとしての職域とは言えまい。よくして報道カメラマンか映像制作者であり、どこかの所属職員であってアーティストとして”夢見る何か”とはいささか異なる立ち位置だろう。

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アートとしての写真

 近現代アートを成り立たせている大きなカラクリ世界は棚上げして、純粋にアートの意味を考えるなら、それぞれの”場”において「高み」を目指す他は無いはずで、たとえば、小奇麗なだけ面白いだけではむなしいな、とフト思ったら、自己に正直な人なら最早そんな美意識には耐えられなくなって次の何かを目指差すことになるのではないか。今に始まった事ではないが、アーティストたちは常に自己の高みを目指さざるを得ない者であって、それゆえアーティストなのであり、信ずる所を発信して行くほかは無い。結果、そのうちきっと世の中が認めることになるだろう、などと甘いことは言わないし言えない。そんな評価はどうでも良い他人事、世間事でしかない。

 では単なる独りよがりか?それはない!「うーん!」と、その道の専門家をうならせるだけの内容が欲しいし、そうでなくてはやりがいも生き甲斐も無いのではないか。かたや、写真技術はパソコンがらみでいろいろな現代美術にとりこまれているのはご存知のとおり。何をどう撮るかではなく、何をどう加工するか(利用するか)が現代表現の主流でもある。

 世に、写真家として名をはせる方は現在もむろんある。いい仕事をしてる人はいる。まねの出来ないところで写真を生かす人がある。アーティストかどうかは別にしても、カメラワークがモノを伝える命ある表現になりえることを否定しないし、写真はもう古いなどとはとても言えない。

 こうした”芸術”と云う、非固定でつかみ所のないダイナミックな価値の奥深さや面白さは、一般的な価値基準を超えたところに価値がある、と私は思っているので、そう何でも時代遅れと切り捨てる気はさらさらないのであります。さりとて、どこかの県の様に新幹線開通後の売り物は「伝統文化」こそと、特別に金と力を注いでみても、この先どうなるものか…。時代はどんどんめまぐるしく先に進んで行くのでありますが。さて…どうする。?。虫人
(写真:1/18,日曜日の滝港)

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