粟津温泉古図

再生された粟津演芸場を見たついでの、当地ご披露。
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当温泉に「おっしょべ祭り」というのがあって、その新聞広告イラストを描いた時、資料をいただいた紙袋に印刷されていた古いイラストマップを大切にしていました。”故郷”ですから。
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で、訳してみましたが、自力不足で不明も、疑問も…。旅館の法師、のとや等幾つかは現存してます。

古地図、なぜ罫から「粟津」を抜いたのか不思議。「福井」は字を削ったあとのようでとても読めなかった。「柳ケ瀬」駅は昭和39年の廃止で現北陸本線から外れている駅。

地図は、木版画が生き人力車隆盛の大正か明治時代としたいですがはっきりしない。私の子ども時代は学校の位置には役場か警察があったはず。

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『岡本兵太郎
長がよう羹な入りも(=名入りの長ヨウカン? 我が父も『粟津羊羹』を長型で作ってましたが誤読か*註あり)
 知られたり湯のはな薫る
 能火の山里(=能火は野火と能美(郡)の掛け?)

やぶ入に祖母のうめたる
 湯の加減 梅宮

この里に湯浴みし誰は
 事繁き
世の身辛きと
 言えぬべらなり  前田 利鬯』

 ※前田 利鬯(まえだ としか)は、加賀大聖寺藩の第14代(最後の)藩主。
幕末で富国強兵を行ない、佐幕派として天狗党の乱、禁門の変、御所の警備などで功績を挙げ、戊辰戦争では幕府軍に与しようとしたが、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れ、新政府軍に与し北越戦争に出兵。
明治2年知事。子爵。大正9年東京で死去、80歳。by Wikipedia

(「温泉に来られる者は世が辛いとは言えないようだ」=とは、動乱期を生きた自分を詠んだか…。)

この旅館、以前は別経営者の別の金閣の建物があり、頼まれて階段踊り場に壁画を描いた。美学生時代で気負って場違いの重い芸術的テーマ?を描き、後悔した。
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粟津温泉バス終点前のおみやげ店・山田屋あとには九谷研修所を出た男性が焼き物店をされてます。
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造り酒屋さんだった建物で現存してますが、「福久舞」だったか…。隣りに雲井旅館があり現・石川県美の館長・島崎さんのお宅でしたね。中田虫人(むしんど)
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*註:別の、ましな解読です。

長歌せば すな居姉も 知られたり …」

(=長歌ちょうかをすれば、すな居姉(コンパニオン)も知られる…)

「すな居姉(いね)」の「春奈=すな(砂)」と「=姉」は古語で、すなは大小(官)の小の意味がある。「砂居・姉」をあてると、今日で言うコンパニオンの意味にもなりそう。「知られたり」が、「連句を理解する(同席の彼女も参加します)」とまで意訳できるか。
あるいは「知られたり」を以降に掛かる句として「コンパニオン(の存在)でも知られる湯の華香る野火を焚く山里…」とすべきか。また訳が正しいかは私には分かりません…。虫人

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by spaceTAKI | 2015-12-02 18:53 | ■事 | Comments(0)