シベリアからのDNA陽エナジー

夜明けとともに目覚めるので朝焼けを見ます。今朝、雲の端の輝きを撮ろうと窓を開けると海鳴りがグオーッと入ってきた。漁師さんは山からの反射音で海沖を知るとおっしゃってましたが、山脈全体が大きく唸っていて、波もない港の中心で音が湧いてる感じでした。
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地図は人類の移動ルートを遺伝子でたどった一部です。この研究は、細胞質にあるミトコンドリアの、ハプログループと呼ばれる短かいDNA箇所で行われるもので、女性にのみ遺伝情報が伝承され、最初アメリカ(先住民)から始められました。なのでアルファベト順でAなのです。
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これとは別の、細胞核内の男性Y染色体DNA・ハプログループ研究では、現人類の旅立ち(10〜20万年前)地点アフリカからABC順に名を付け、名称番号は異なります。

で地図は、アフリカを発ち、3万年ほど前にシベリアに来て、さらにアメリカ大陸に渡ったA(1万5000年以上前)が、新たに染色体突然変異を遺伝子に刻んだA2→A3としてアメリカ大陸で子孫を増やしたことを表してます。

一方、Aの女性の一人が突然変異した染色体ハプログループA4は、子孫が東アジアに広がっています。

その中の一人の女性からA5が枝分かれしますが、これが見られるのは日本(発現率7%)と韓半島だけ。発生は7000年前、縄文期です。

日本人特有DNAはほかにもありますし、大陸の南回りにも重要な流れがあります。日本人に7%しか見られないこれを取り上げたのは、狩野家9代目・養信がこれを持っていたから。分子人類学者の篠田謙一博士が発見した、誰と分かるハプログループA5の人は、今のところ2003年に墓の調査で判明した彼のみ、だそうです。


d0329286_20315804.jpg 先日七尾市美術館での作家・阿部龍太郎さんの講演会は立ち見が出るほどの盛況だったと新聞は伝えました。『等伯』は直木賞受賞作品になり、七尾は等伯の出身地なので今も関心が高いようです。

ご存知のように長谷川等伯は能登から京に上り、信長・秀吉の時代に隆盛の狩野派にライバルとして挑みました。ギンギラの絵も描いてますが、寂とした「松林図屏風」で有名です。が、近づけば運筆は竹筆のカリグラフィーにも似た激しいタッチです。

秀吉から支度金で大判100枚(1億円)規模の仕事を受けたり、300両(3000万円)の裏金献金をだまし取られたりで、あげく息子が死んだのは狩野派の陰謀だと殴り込みをかけ、自身大怪我。一月後は相手方の狩野永徳も急死…と何とも凄まじい。この”動”の時代に対極としての”静”の茶道が生まれた必然も分かる気がするというものです。

宗教では一向宗徒(浄土真宗)が信長と武力対決しますが、これを陰(いん)のエネルギーとすれば同じ鎌倉仏教の日蓮宗はアグレッシブで現実的な陽の力に溢れてみえます。当時この二つも時に敵対しましたが、真宗王国の北陸にあって等伯の養子先・長谷川家は日蓮宗の絵仏師で、画家の出発点でした。


日本人の遠い先祖の或る者は、シベリア・バイカル湖付近にいて夫はマンモスを追い、妻は極寒の雪の中、動物の毛皮で覆ったパオ型住居の中で火と子を守りながら、せっせと骨に絵柄を刻んで装飾を施していたんでしょう。
その子孫のひとりが日本まで来て何世代も経て、有力画家集団の狩野派9代目となり、覇を競った等伯と同門である日蓮宗の、東京の池上本門寺に埋葬されたのでした。

縄文時代といえば、人類史ではまだ日の浅い"血"のA5です。今後も長い時間をかけて広く浸透してゆくのでしょうが、"陽エネルギー連中"の現世に対する生命力はすごいなあ…と”陰エネ”派の私はつくづく思うのです。虫人
(作図は虫人、参考文献「日本人になった祖先たち」篠田謙一著、NHK books等)

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by spaceTAKI | 2017-03-11 17:12 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)