武のじいさま

美大生になった当初、私は鶴来町から電車で金沢へ通った。

あるとき”武(たけ)さん”と言う和服姿の色黒で丸顔、細身の老人から、古文書を丸めた包みをいただいた。私の家族はまだ越して来て長くはなく、ここ育ちの母からの説明で”タケのじいさん”という名士らしいと知ったが、一体どういうことかさっぱり合点のゆかぬまま、ほどなく一家は鶴来から転出した。だからそれきり彼と会ってはいない。

別の日には大工と名乗る見知らぬ人が来て、新築祝いに贈る油絵を譲ってほしいと頼まれた。サインのない漁港風景の習作を何点か格安で売った。当時の人口は二万人ほどで、美大生やOBは私ぐらいで珍しかったとは思う。
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石川県でもっとも大きい手取川の、白山嶺から平野に出る扇状地の要が鶴来町で、川や町を見下ろす岡に縄文時代の中期集落遺跡があり、となりの「ふれあい昆虫館」につづけて墓地になるが、武さんの碑はその入り口にある。
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ある年の墓参のおり、閑雲と言う名にかすかな記憶があり、もしやと読んでみたら彼の碑だった。

d0329286_06504564.png当時「郷土史家」が美大生の若造なんぞになぜ古文書を託したか…それをを読んで分かる気がした。
今年の夏で私は74歳だが、彼は同年齢で亡くなっており、寄付すべき町立博物館もまだ出来ておらず、独り身の彼は町内でもっとも相応しいと考えた”文人の卵”に遺物を手渡し、3、4年後には世を去った事になる。現代美術を指向しながら能登で独り暮らす今の私を”仙人”呼ばわりした人がいたが、仙人は彼のあだ名だったと碑にある。

今、私は能登の古代史に興味をおぼえ、”郷土史家”みたいに古文書と格闘もするが、おかげで昔美術資料として買いためていた古木版刷りの絵本類を少しは読めるようになって楽しみが増えている。武さんからの物は、半紙に毛筆の証文の切れ端ていどで大した内容ではなかったと記憶するが所在は不明。探せば出てくるかもしれないが、これを含め吾が亡き後は誰に託せばいいものか、ふと気になる時もある。

美大生なんぞと言う者は、当てにはならぬと身をもって知ってるいるから、武さんのようにはとても考えないけれど、さてどうしたものだろうか…。虫人

秋日庵閑雲翁之碑
閑雲翁は明治二十六年十一月一日石川県鶴来町において 父武久兵衛 母みつの次男として生まれ 名を禪定 号を閑雲 自らは鶴城老人と称し 綽名あだなを仙人とも呼んで その居所を秋日庵と名づけた

翁は幼くして俳諧を嗜好 十七の時京都梅黄社花本十一世から 閑雲野鶴の語より俳号閑雲を命名され 大正十一年立机宗匠に列せられた

d0329286_06532687.jpg この頃より翁は 鶴来文化史の研鑽発揚に志を傾け 鶴来保勝会を主宰し 史跡名勝の保存に専ら意を用い 江湖稀な郷土史家と高く評価された 特に卓越した古文書解讀の才能を有した翁は 進んで文人墨客の遺作を世に紹介し 就中なかんずくつるぎ叢書全七輯は 後世不滅の偉業と言えよう
 昭和四十四年八月十三日 惜しまれつつ 七十四才の生涯を ここ舟岡山麓に全うした

     昭和四十五年☐☐拾日 松石山房☐之。



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by spaceTAKI | 2017-03-17 23:04 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)