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7月25日
催事が終わって、みなさまのご想像どおり疲れが出て、私は食っては眠りのみの日々であります。

今週の北陸中日新聞「こちら消費者相談室」(木曜27日の金沢版)イラストの文字原稿がうまい具合に4日ほど遅れてリサイタルが終わってから送られて来ました。消費者センターもここのところ多忙で大変らしい。

春頃のことだったか、原稿を書かれている女性が能登での広報活動の帰りに初めてスペ滝に立ち寄って下さったことがありました。あちこちで講演会などされていて少人数なのにやる事が多いのだなあ、と思ったものです。そのとき頂いたパンフレットです(イラストは別人)。
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イラストといっても漫画風ですが、右手が震えて線がビビります。しかたなく描きなおして出来たら直ぐにPCで新聞社にデータを送りましたが、これが夜中の3時。全生活リズムが完全に狂っていますから一日に何度も眠るので時計を見るまで時間感覚がありません。見れば今日の午前11時、眠りを覚ます大音響で呼び鐘が鳴りあわてて出てみるも誰もいません。客は待ちきれずお隣の喫茶店へ行ったとわかりましたが、次の写真が彼ら。
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港をバックにインタビューを撮影したいから、ベンチを使わせて欲しいと言う。小雨降る中、黒いTシャツの方が30分ほど取材をうけてましたが、連中が何者かは訊く気もなく、私はただただ早く元の体とリズムにならないかなあ、とねがうばかりでありました。わざわざ港で撮影するのだから、ヨットマンかもしれませんが、滝港らしい所を避けてのアングルなので、本来は金沢あたりでの予定が雨で変更になったのかもしれません。
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それにしてもこのごろ天候の悪さはどうでしょう。夏というのに太陽が覗きません。現在「石川県金沢市に避難勧告」とPC画面にあります。困った事に地球も完全に体調を崩しているようです…。(中田むしんど)

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2017夏の音楽会終了・雑感

水が弦にバシャバシャ落下

スペース滝'17夏の音楽会『鶴見彩ピアノ独奏会』・7/23(土)2:00pm開演。
¥1000.-(高校生以下無料)、盛況のうちに終了しました。

7月23日リサイタル当日
リハでのこと。ピアノの高音弦に上空から水がしたたり落ちるハプニング。一番驚いたのはピアニストの鶴見さんだと思う。私は同じ過ちをやってるので「またやっちまったか〜!」の心境。ピアニストに限らずアーティストは一種の極限情況で場に臨むこともあり、こんな事では演奏中止されたところで文句を言えぬ立場かもしれない。鶴見さんはピアノの位置換えを提案されたり、移動に手を貸してくださろうとしたりで、ほんとに恐縮してしまった。

後でスタッフの筧さんから聞いたけれど、プログラム演目のショパン・バラード4番を変更したのは、鶴見さんがショパンの3番が「水の精」とのタイトルだったからという。水を意識しての変更だった。
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”水影”が揺らぐと鍵盤の白がちらちらして弾き手にも音で水を制御している感覚が目から伝わる。水という自然の一部とピアノの音が指先で繋がった感覚は、アナログなればこそだと思う。コンピュータプログラムでも光のパターンをデータ化すればより正確に鍵盤上の意に添った動きを作り出せるかとは思う。

反して本物の水は思わぬ動きや偶然の連続で、鍵盤とはタイムラグもできる。本来ならイライラするはずの処がむしろ心地よいといっていいし、このずれのある一体感はどこか癒されるものがある。ピアニストのプロの音の切れや強弱の大きさに現在のデバイスではついていけず、跳ね上がった水が落下したのは私の設計ミスなのだけれど、これもアナログなればこその”自然”がそこにあるのだとも言える。

『見る音聴く形』という催事で、鶴見さんたちが陶彫の立ち並ぶ音楽堂ホールで演奏するのを二度見ている。「見る音 聴く形」が中国の禅僧の言葉だと鈴木大拙は講演で披露している。これは、いわゆる一元論を言っているのだと理解できるが、人は自然の一部だという体験的な感覚なのだと思う。”水影”は文字通りの「見る音」なのだけれど、原初の命が大海で生まれ、母体羊水の中で育ち、身体の60%が水で出来ている人間にとっては、肉体もまた自然素材の造物であることに思い至っていいのだと思う。

表現の奥に込めるもの

鶴見さんがお持ちのピアノは500kgほどで、当館のは200kg以下だろうという話が出た。鶴見家のは低音部が1オクターブ分多いベーゼンドルファーか。リストの「ダンテを読んで」が終曲だったのだけれど、当館のもの程度では同じ音質音量は望めないはずのところ、それでもプロの迫力はすごいものだった。これは現在のアンプやメカ性能の構造バランスではカバーしきれない音量幅だと知ったので、いづれ総取っ替えするつもり。

スペース滝はアトリエ展示場に過ぎないから、今の処ピアノを換える気はないけれど、せめてプロの演奏に耐える「水影」を作るべきは当然のことだし、中古品に振り回された現状の実験結果を踏んでの新設は安易なはず。むしろそこから先がやや気になっている。私が「作品」と呼ぶのは「デバイス」つまり装置。だが、それはコンセプトの具現ではあれ、演奏家の表現がその上に乗ってはじめて具体的に意図する”美域”に至れるのだから、これを近代芸術の「表現」と呼ぶにはやや疑問がないわけではない。

音楽会にメインタイトルが欲しいと言ったのは筧さんで「彩が織りなす夏の影音」は彼の意図を察して私が提案した。これが方向づけキーワードになり、曲変更にみられたようにピアニストさえも動かしたと思う。で、鶴見さんに限らず音楽家らが快く協力してくれるのは、やってること(水影)が面白いからに違いない。ああしたら、こうしたら、という積極的な感想や提案は、みなさんが「水影」の制作サイドに立って頭で参加していることを意味している。私が否定や反論しがちなのは全面拒否ではなく、むしろこの参加が当コンセプトの有用性を示していて、手応えを感じてうれしく思うゆえに対等に自分の立場を述べているにすぎない。

鶴見さんの舞台上の紹介コメントに「(水影の)美しさを見てほしい…」とあったのは正直な感想と私は受け取っている。水に思いを込めたとの話もあった。彼女はコラボさせて頂いた「夢」(ドビッシー)の奥に、水のイメージを含ませようとしたのだと私は思う。芸大で講師をする程の技量の奥に込めるものはなになのか…。聴く者にそれは伝わるものなのか。ピアノは弦楽器だがギターやバイオリン類のように音色が変えられない。代わりにオーケストラ並みの音域がある。作曲家たちはそれをフルに使って古典曲が構成されているのが分かるのだけれど、演奏家たちはその奥にあるものさえ表現しようとする。
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ラフマニノフの演奏最後に舞台上で気を失い狂気の人なっても演奏活動をつづけた実在のピアニスト、デビッド・ヘルプゴッドを描いたビデオ「シャイン」。クラシック音楽演奏が目指そうとした一つの頂点がそこにあると言えないだろうか。デビッドやゴッホ、草間弥生など、狂気に近い所で生み出されるものの凄みと個性にはある種の不幸な履歴が潜む。高い器量と技術があれば、次に要求されるのは具体的な「表現」なのだろうけど、心の芯にあるものは各々が違う。ならば終局、古典を演奏するというのは演奏家が作曲者という他人になることを要求されているのだろうか。そうではない、視聴者は演奏家というフィルターを透かして作曲者の心を聴くのだから演奏者の解釈次第。けっこう複雑なこととなる。その解釈が深みを生み出し面白さともなるのだろうが、当然評価も分かれる因となる。

「水影」はその複雑さの上に、さらに”水のフィルター”をかけることになる。演奏家が水に関連した曲や「夢」の様な静かな曲をコラボレーションに選ぶのは曲想にあっているからだけれども、本来なら「水影」は蛇足物のはずである。ただ、コラボが成功した場合、音楽家たちの意図を超えた新鮮な空間を経験するのも事実だと思う。

装置とはいえ私のデバイスはやはり私の趣向が作り出したメカニズムだから、大きな意味では表現行為に違いない。コラボが失敗か成功か、思い描くものにどれほど近づいたのか、は私という個性がデバイスという表現手段をどれほど向上させ使いこなしたかにかかる。私は『見えないものをどう見せるか』をテーマに造形作品を作ってきた。水影もその延長上にある。これはやはり近現代の”アート表現”としていいはず。だが仕掛けは”水落下事件”のように発展途上にある。これは明らかな失敗だけれど、それこそが制作をつづける面白さでもある。そんな訳で、鶴見さんからのご厚意で完成度の高い音楽世界とコラボさせていただけるのは感謝のほかない。

50人近い観客に感謝

「彩の会」会員参加者20名と少なかったのですが、総有料入場者数は倍以上、子供たちや主催者関係者を加えれば、立ち見に心配をする程の盛況でした。遠くは小松市や富山県から来られた家族もありました。主催者に代わって厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
(写真アルバムは彩の会・西尾さんのご提供でそのうち掲載できると思います)中田むしんど

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雨曇りの中、ヘリコプターが何度も海岸沿いを飛んでいたので写真を撮ろうと裏戸を開け、空に構えてしゃがみ込んだ。
庭先にカモメ?
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実は3日前、当館裏の空き地に、ニワトリみたいに十数羽が餌をあさっていた。初めて見る光景だったので、窓越しにたくさん写真を撮った。後で地面を探してみたが食い物なんぞはなさそうにみえた。

カモメはスズメやカラスと違い民家の庭先で見はしないし、警戒心が強く近づく事さえなかった。それが今、ヘリコプターにカメラを向ける私から逃げようともしない。d0329286_23201373.png よほど腹が空いているかと見て、100均で買った「干し魚」を景気よく撒いてみた。風があって、魚は軽すぎてうまく飛ばせないが、部屋の窓から様子を見てると、海から彼らが戻りアッと言う間に平らげた。「やったー!餌付けに成功だあ」(でも、習性にはしないよ)。

 新聞は皇太子の来県を伝えている。そのための飛行と納得し、ふたたび撮影にと戸外に出る。と、この子が私を見つけて飛んで来た。「ごめん、また買って来ておくけど今はもうないんよ」と私は話しかけ、その時気がついた。

先ほどヘリコプター撮影で軒下にしゃがみ込んだおり、遠巻きに私を警戒して見る鳥たちに、今同様に独り言のように無意識に色々話しかけながらカメラを待機させていた。

相手は恐竜時代の生き残り爬虫類縁なのだから、まさかこれほど話が通じようなどとはつゆ知らずいたが…。

ああそうかあ、スズメと話が出来たと言う越後の清貧禅僧・良寛さんに私が近づいたんかも知れんなあ…こりゃあ、嬉しいじゃあないか。? 虫人
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(※カモメ科ウミネコ=似たものにセグロカモメがいるが、くちばし先に赤と黒の模様があり区別が容易)

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格安スマホ移転への注意”という記事のイラストを描きました。(掲載は木曜の北陸中日新聞)

 ところが私はスマホを持たない。皆さんスマホの手を掲げて撮ってる時も、私は旧式の小型カメラを遠慮がちに突き出し「カシャリ」と音がして恥ずかしいことも。レンズがニョキリとせり出してくるタイプは衝撃に弱くてすぐ壊し、堅牢でシンプルなタイプに換え、ズームの弱さを気にしながらも「老人用はこれでなくちゃあ」とありがたく使ってました。
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だが思わぬ破損が…。防滴用にズームアップボタンをカバーしてた柔らかな表皮の部分が破れて穴空き状態に。写真は未練たらしく黄色のテープで塞いでみてますが機能せず。しかたなく同等クラスの小型カメラを2nd street から先頃買いました。

SDカード記録式なので古いカメラでも使えます。で、あちこち移動させてたら、各機に適合させるための収納用のファイルやら何やらがカード内にやたら誕生し、今撮った写真がどこに保存されたかあちこち探すあんばい…。立派なカメラで美しい写真を撮っておられる皆様からはわらわれそうですが、ともあれ時代に付いて行くのも老いの身には大変です。虫人
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[写真:散歩で大きなフグを見かけました。土日は釣り人の車が道路にずらりと並ぶ季節になりました。
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 白山はまだ雪。この前、陶彫刻の金先生夫妻が来られた時「あれは白山ね!」と奥様の方からおっしゃった。彼の国(今は北)には白頭山(ペクトゥサン)という“母なる山”があり白山には特別な思い入れがありそうです。白山と言う名を広めたもともとは、遠い昔の渡来系の人たちだったかも知れないな、とフト思ったりします]


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雨の日がつづいてます。
数日前、まれな気持ちのいい目覚めをしました。若返ったような気分だったので「”水影”マシンの2号機」作品の設置調整を始めました。はかどりすぎてオーバーワークになり、先頃の雨続きの低温とともに神経痛が出て、昨日は身の置き所のない激痛でどうなることかと思いました。
が、本日は貼り薬が効いてやっと人心地がついてます。
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ところで、声が出ない人になったらしい。
作品の部品買いに100均に行き、レジのおばさんに「ちょっとした金物類は置いてないんですか?」ときいたところ、声が出てない事に気づいたのです。腹に力がなくて息が細いこともあるのですが、声帯がかすれて音になってない。口はパクパク動くし息もしっかり出ているのにスースー言うだけで声帯が振動していないのが自分でも分かる。おばさんは聞き耳を立てて、頬をすりよせるようにして(顔を赤らめながら)聞いてくれるのですが、結局通じなかった。

独り言さえ言わぬ日がつづき、発声メカの老化かとも思ったのですが、その前日タンが気管にからんで息が出来ない事が2度あって、必死の思いで咳払いをし続けた。その時声帯を傷めたらしいと思い当たりました。さいわい神経痛の軽減とともに、今日は声も戻ったよう…。
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そして雨の今日、氷見市に行って気になっていた古本を買ましたが、思いがけず鈴木大拙の禅の講演CD付き本を見つけました。店員さんとの会話も成立しましたから声は出てます。前の持ち主さんはなぜ手放されたのでしょうか…時々鉛筆の傍線があり、同類かなあと親近感を持ちます。

(『大拙 禅を語る』-世界を感動させた三つの英語講演-。2006年初版。株式会社アートデーズ)
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晩年の録音で、ゆっくりと、やや東洋人なまりの英語なので良く聞き取れるのですが、なにせ単語自体が難しく内容も深く微妙なので私の英語力では歯が立たない。で日本語訳を読んで、あらためて彼の偉大さを知った思いでした。よくまあ、これを英訳できたものと感心します。
儒教、道教、キリスト教、サンスクリット語の初期仏教や真宗などを、禅と比較しながら分かりやすく語っている。明治3年生まれ、昭和41年(私が大学時、半世紀前)に亡くなってます。

 ジョン・ケージも講義を聴いたと解説にありました。あの無音のピアノ演奏に込めようとしたのは、弾かない事で取り込める周囲の音や気配、大拙の言う”摂理”、自己を含む全てを一如(いちにょ=真理の根本は一つの意)と感得する悟りの世界へのいざないだったのかも知れません…。当時ベトナム戦争下、反戦の象徴だったヒッピー族や欧米の文化人に多大な精神的影響を与えた彼の肉声講演を、今の私が聴けるなんて…まさに"求めよ、さらば与えられん"だと思いました。


で、我が身に何が起きようとも、そのまんまを”摂理”と受け入れましょう…というのが本日の読後感想。おかげで今晩はことのほかいい眠りに就けそうです。虫人 
[写真:鯉のぼりは津幡町の能瀬川]

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当館をリホームしていただいた大工さんに来てもらった。古い破風(軒かこい)が季節風で落ちたので。

話していて思い出しました。彼は別の現場で、当時10mの梁から転落して奇跡的に助かった人。アドレナリンの分泌で痛さは感じなかったそう。で、臨死体験した私の手術時の話ににもなりました。ブログにあげてますので興味ある方はクリックどうぞ。
[★実は臨死体験?をしました]へ

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「[世界びっくりニュース/2017.1.18]」という今日のネットサイトに、

「ついに臨死体験が科学の常識

複数の物理学者「死んだら意識は宇宙に放出され、未知の世界に行く

とあり、日ごろ漠然と思っていたことが学者たちのイメージにより裏打ちされたようで面白く読みました。

「たとえば、米アリゾナ大学のハメロフ教授によると、『意識量子レベルに貯蔵された単なる情報』である可能性が極めて高いというのです。」(臨死体験は、放出途中での意識情報の戻り、という)

「細胞中に見いだされる直径約 25 ナノミリメートルほどの『マイクロチューブル(微小管)』が量子情報を準-原子レベルで貯蔵している」「精神的な性質は自然界の基礎的な力(重力、磁場など)とは直接的な関係はないが、量子的世界では精神的性質との驚くべき一致が見られる」「肉体は死にますが、精神的な量子場はなくなりません。そういう意味で、我々は不死身なのです」(独・マックス・プランク研究所の博士ら)とも。 (※一般的には「意識とは何か」は心理学や哲学の命題です。虫人)

編集者は『「死んだら全て終わり」という常識も量子論的には迷信となってきている。我々が死の恐怖から解放される日もそう遠くないかもしれない。』と楽観的に結んでいるのですが…。
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私が共感するのは、仏教思想がこうした最先端の量子論レベルと同じような世界観を持っているなと時々思うところです。宇宙飛行士や物理学者がその神秘さに「(創造主)神の存在」を持ち出す事がありますが、「色即是空・空即是色」と言った仏教哲学を当然のように肯定・前提とする量子物理学者のインタビュー記事も読んだこともありますので、おとぎ話のような輪廻転生や地獄極楽の話までもが、量子レベルの異次元の世界と捉えればにわかに現実味を帯びるではないですか、というわけです…が。むろん科学者たちはそこまで踏み込みはしません。

さて、皆さんはどう思われてるのでしょう…? 虫人


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 [ギタリスト垣田 堂]

 2017年1月16日(月)
「となりのテレ金ちゃん」(テレビ金沢)16:00〜19:00
「松原健之の一曲だけのコンサート」のコーナーにて、少し映ります。
 歌手の松原健之さん、なんなさん、3人で合奏する場面です。(垣田 堂)

虫人は確定申告作りの079.gifたる日々です。

年末に「蓬莱(ほうらい)」という能登のお正月飾りの縁起物を紹介するTV番組を見ました。特別な造形かとの興味で。それを見ていた当のご親戚筋から本物をいただいてしまった。林栄美子さんの切り絵で、上右に「神璽(しんじ)」印があり、天日陰比咩神社 あめのひかげひめじんじゃ(能登二宮)のお祓(はらい)済みとある。
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これには困った。私は日頃から「仏教徒」だと申し上げ、神教のことはご遠慮申し上げる旨も伝えるが「神仏混淆」を言う土地柄ではいかんとも…。で写真を撮った後は神信心(かみしんじん)されている某奥様にさしあげてしまいました。信仰の自由はシリアスで微妙な問題なのでこれ以上は書きません。

神璽(しんじ)印の「(じ)」は「王」の意味(白川静『字統』平凡社)。字の下部「玉」の本来はで、上部は女性の上半身の正面胸肌に×が四つ朱色で描かれた美麗の形とある。加入・通過儀礼の呪(のろい)よけ。王は、天に対して(地=)土を制する人、という意味かと思われます。
璽印は王の墨書に押されるものなので、ここでの神璽印は”神王”印となりますから、「神の書」ほどの意味でしょう。
虫人

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本年もよろしくお願い申し上げます。
今年は夏に鶴見彩さんのピアノリサイタルを予定しておりますが、日取りなどはおってお知らせできるとおもいます。虫人


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ねぶた、を一基買ってしまった。
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ミニサイズだが120cmwあって、日本のバブル期以前に作られた古いものかも知れないです。「津軽ねぶた工房」は健在のようで、今も作られているのでしょう。
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きのう古物店で見つけた衝動買いで、傷みはひどいが明かり映えします。
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中の40Wの電灯6個をLEDに換えましたが、25Wの豆球2個はそのままなので、消費電力は100W/h。
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富山県福野町で行われた垣田堂氏のギター演奏会場ヘリオス(写真)に常設されている「夜高祭・行燈」(当ブログで既に紹介)を見ていなければ、また渋谷利雄氏の新カレンダーが能登飯田の「とろやまキリコ」でなければ買わなかったでしょうね。
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棟方志功作品は青森のねぶた由来の画風だと言われますが、福井県には梶尾正治という、竹の骨組みに柿渋を薄く塗った和紙を貼る抽象彫刻で知られた現代美術家がいました。地味で落ち着いた味わいはヘリオスで展示やコレクションのある「菅創吉」と似ています。

会期中の小林学芸員の解説で、菅がNYにいた頃、欧米は鈴木大拙の”禅ブーム”という幸運に恵まれた、とありましたが、色味のない抑制の利いた画風は生き生きしたエスプリには乏しい感じで、画面中央に静止した物が一個描かれる構図は絵画的というより彫刻的で、事実オブジェ風抽象彫刻も並んでいました。


かように書いたり、ねぶたを買った動機には実は次の理由がつきそうです。
昔の金沢美大「1、2年生出品禁止」を破り、私が匿名で初めて作品を世に問うたのは京都アンデパンダンに出した立体作品で、1964年です。模型飛行機の羽様オブジェを2枚を向かい合わせに立てた180cmhのもので、木製のリブに白ビニールを張ったカーブを見せる作品でした。(※註)

つまり、私も精神的根底では似た美意識が流れているんだろうなあ、という今更ながらの共感のせいなのです。西洋美術をやりながら、どこかで伝統の日本美術をやってるんでしょうねえ…あ、そう、最新作の「水影」もまさに(意識して)そうなのでありますです。虫人

(※註)
当時注目の男性作家が虹のグラディーションに塗った長い帯状の板を猿のように天井を伝ってセットしてまして「アイオウだ!」と皆が見上げてました。私はトップ評論家今泉氏から直接貴重な助言を受けましたが、若い女性が、新しい美術批評の一角を担っていた瀬木信一氏から「丸こい物が描いてあるだけだ!」と厳しい指摘を受けてました。彼はその後「アパシイの批評の確立」という論文を美術誌に発表し、一線から身をひきます。

今に至る日本の”現代”美術の二重構造が始まる時期で、私は金美の卒業時もろに渦中に巻き込まれるのですが、それはまたの機会に。虫人


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当ブログの『※お気に入りブログ』に「黒部エリぞうのNY通信」というのをあげさせてもらってます。

近いのか遠いのか、富山県の黒部市とニューヨークが合体したようなタイトル?で、NYのバリバリ美術記事が惜しげもなく披露されていてとても刺激的です。

やや前、「生のシュナーベルに話を聞いた」というのがあって、その時にエリぞうさんが女性だと知しりました。ファッションショー記事が頻繁なはずです。エリさんが本名らしく、雑誌編集にもたずさわったインテリ・キャリア・ウーマンの方らしい…。

私は映画館で「バスキア」を観た後で、ビデオも買いましたが、がっかりしたのは、映画にあったシュナーベルの”お皿作品”の側面映像部分がバッサリ切りとられていたこと。私は缶などを画面に貼付けたアッサンブラージュをやっていて、皿を分厚く貼り重ねた構造部分が気になっていたのですが、当時シュナーベルは日本の雑誌の小さいモノクロ写真しか知らず、期待して買ったのに…です。

エリぞうさんは作品どころか、先頃生シュナーベルに会ったという。で、彼ほどの者が"アーティストは死んでから認められる"(注1)と言ったそう。え〜、ゴッホ時代じゃあるまいし…と思うけど、ともあれさすがNY、目の前で現代美術が”生きていて語る”んですねえ、うらやましい。

▷http://erizo.exblog.jp/26072334/
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(注1):正確には「アーティストは週給や月給で払われるのではなく、死後に支払われる職業 だ」です。随分意味合いが違ってきますね。デ・クーニングが今では最高額の336億円だそうですから。虫人

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