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短編・「指輪」

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  私が五十五歳になったときだった。朝、出勤の支度をしていたところ、突然電話のベルが鳴った。まず一番に病院からだと直感した。母はすでに長い期間入院している。そのことが心の片隅にあるから、電話のベルが鳴るとすぐ母のことに結びつけてしまうのだった。

妻も奥の部屋から電話を見つめているのが気配でわかった。私はちらっと妻を見て、もしかしたらという体のこわばりを感じながら受話器を取った。
やっぱり病院の看護婦長からだった。何時ものように感情を殺した声で
「中野様のお宅ですか」一言一句私の心の中までしみこませる響きがあった。
「はい」次に聞く相手の言葉が長く感じられた。

「はっきり言います。今中野キヨさんは脳死状態になっています」
 職業柄からだろう、一定のリズムで、確実にはっきりと母の死を告げる言葉だった。
「……」しばらく私は沈黙した。

「とりあえず状況をお知らせします。キヨさんは今朝食事中に、気管に食べ物を詰まらせて苦しんでいるのを巡回中の看護婦が見つけました。すぐに応急処置をしたのですが、残念ながら意識は戻ってきませんでした。現在人工心臓で延命処置を施しています。今後どうなさるのか中野様の判断をお願いします。病室は5階の○○号室です」
「わかりました」

 私をずっと凝視している妻に看護婦長からの言葉を告げた。
「母が食事中、気管に食べ物を詰まらせて、脳死状態だそうだ。兄と姉に連絡してから病院へ行ってくる」
「私も後から行くわ」
「うん」

 短編・「指輪」_d0329286_8574824.jpg 会社に電話をかけ一連の事情を話し、会社を休むことにした。その後、兄と市内に住む姉に電話をし、病院で落ち合うことになった。病院へ着くとエレベーターに乗り5階のナースセンターに顔を出すと、看護婦長が待っていた。

「こちらです」看護婦長は病室に案内しながら電話の内容と同じことを言った。私は黙って後ろに続いた。病室は四人部屋で、がらんとしており母だけがベットで横になっていた。隣に四角い箱から管が出て母の体につながっているようだった。計器からグリーンの波線が横に動いていた。

それを確認しながら看護婦長は
「中野キヨさんは今現在、延命装置の力で心臓は動いています。でも肉体は脳死の状態です。まず蘇生することは考えられませんが、ご家族の方がこのままの状態にしておいてほしいとの希望でしたら、そのように取りはからいますが、延命装置の有無についてはご家族で決めてください」と言った。

 母の顔を見た。血色が良く、そのまま寝ているようだった。そっと体を押してみたが反応はなかった。
しばらくして兄と姉が駆けつけてきた。私もそうだったと思うが、いずれの顔も緊張でこわばっていた。母の状態について話そうとしたが、口の中が粘っこくてまともな言葉にならなかった。兄弟の間で圧迫された重い沈黙が流れた。

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 母が糖尿病で入院してからここに至るまで、いくつもの余病を併発し、衰えていく母の身を案じていた。しかし現実問題として婦長から母の死を告げられたことである種の重みと緊張感が私の思考をいびつな形で解放されていった。
それは人に言えない自分だけの、本当にごくわずかな倫理といえた。瞬間まで私が感じていた死について曖昧な定義は婦長の言葉でどこかに消え、冷酷な見方かもしれないが、これから先、人工心臓によって生きていても、奇跡が起こらない限りは母の存在は無に等しいと考えたのだった。

世間で聞かれる尊厳死にしてもしかり、死は人それぞれに平等に与えられている。人生の終末においても死は自分で下すか、他人によって下されるか二つに一つの選択だとこの時思った。

 延命装置で奇跡を待つか、延命装置を外して母の生涯を全うさせるか、母の処置について私が決断を下した。それしには戸籍上では私が長男になっていたからである。兄や姉と異母兄弟であると知ったのは中学生の時だった。

「兄さん、延命装置外そう。姉さんもそれでいいだろう?」
「お前がそれでいいのなら…」
「母もわかってくれる、これからも自分たちで生きるのが精一杯なんだから」
 いつの間にか妻も来ていた。不安そうな表情で目にいっぱい涙をためていた。私は妻の手を握り、病室から外に出た。妻に延命装置を外すところを見せたくなかった。

「ここに待っていてくれ」
 病室に戻り、看護婦長に結論を言った。
「兄弟で色々考えましたが、延命装置を外すことを決めました。よろしくお願いします」

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 その後、病院でどんなやりとりを交わしたか、過ぎ去った年月を考えると記憶が薄れてくるのだが、最後にグリーンの線が一直線になったとき、手を合わせ母の死を心に刻んだ。


 それから五年の月日が流れた。そのままになっていた母のタンスを整理していたら、台の外れた翡翠と指輪が出てきた。確か母が入院していたとき、大事そうにケースから指輪を取り出し、直してほしいといった指輪に違いなかった。病室で会うたびに指輪が直ったかと聞かれたが、仕事の忙しさにかまけて、ついに母の希望に応えなかったことを今になって悔やんだ。だが母がこの指輪を治すことになぜこだわっていたのか、最近までわからなかった。

 母は富山県五箇山、小原の出身である。立山があり谷底に庄川が流れ、険しい山道の所々に合掌造りの集落があるところで育った。母自身が言っていたが、八人兄弟で生活は貧しかったという。その母の実家である小原へ二年前、親戚の法事があって出かけたときのことだった。用事を済ませ金沢へ帰る用意をしていたら、かなり年配の人が私に声をかけてきた。

「あんたキヨの息子さんか」
「はい」
「どことなくキヨに似ているな」
「そうですか」
「ところで、突然不作法なことをお聞きするが、日頃からキヨさんは、翡翠の指輪を大切にしていなかったかいね」

「翡翠の指輪? ああ、そういえば母は、いつも翡翠の指輪を指にはめていたのを思い出しました。ですが晩年母が入院していた時、その指輪の修理を頼まれましたが…」
「その指輪のことなんだが…」
「何か指輪のことで?」
「いつだったか、キヨさんと昔の思い出話をしていたときだった」

 山里に夕日が西に傾きかけていた。
「母は何か指輪にまつわる話をしたのですか」

「ま、昔の話になるが、キヨさんの子供の頃は、五箇山の生活は貧しかった。農繁期には学校どころか子守が毎日の仕事だった。やがて年頃になると信州の織物工場へ女工として働きに出る。キヨさんもその一人だった。

キヨさんには同じ五箇山の○○村に嫁いだ姉がいて、良くかわいがってもらっていたと話をしていた。ところが話の途中で、私に指輪を見せて涙を流したことがあった。そこで、何か事情があるに違いないと思い、暫くたってからキヨさんに聞いてみた。 
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 キヨさんの話によれば、姉さんは体が弱く、床に伏せっている日々が多かったそうだ。そんな身でありながら、姉さんの家へ行くと、末っ子のキヨさんをずいぶんかわいがってくれたといっていた。

ところが冬が近づいたある日、姉さんから是非あいたいとの伝言を村の人から聞き、急いで姉さんのいる村へ行ったとき、病床にいた姉さんから「この指輪は私の形見、キヨにあげる」といって指輪をキヨさんに渡したそうだ。ここまで病んだ姉を見て、キヨさんは
「これは姉ちゃんの大切な指輪や、早う元気になって姉ちゃんの笑顔を見たい」
といって断ったのだが
「私の願いを聞いとくれ」
と懇願にも近い姉さんの言葉にキヨさんは泣きながら、最後は受け取ったとのことだった。手にした指輪はキヨさんの指より大きかったが、そのまま指にはめて見せたら、姉さんはたいそう喜んでいたそうだ。

 姉さんの家で夕食を食べ、自分の村へ帰る途中、雲行きが怪しくなり、突風と雪におそわれ、あわてて駆けだしたとき、雪渓につまづいて転び、姉からもらった大切な指輪が指から抜けて落としてしまったのだった。キヨさんは降り続く雪の中を必死になって探したが、結局見つからず、家に帰る道すがら姉さんの形見の指輪を紛失したことは誰にも言わないでおこうと自分に誓ったそうだ。

 半月後、姉さんはキヨさんにあげた指輪が雪道で紛失したことを知らぬまま、亡くなられた。キヨさんにとって一生悔いが残る出来事だと言っていた。最後に指にはめた指輪を私に見せながら、形見の指輪はなくしたけど、金沢でよく似た新しい指輪見つけて買ったがや、と話してくれたのを思い出してな、五箇山で出会った機会に、キヨさんの息子さんに当時のことを話そうと思ったのですちゃ…」

 山の人から母が指につけていた指輪の話を聞きながら、なぜ母が日頃から翡翠の指輪にこだわっていたのかわかってきた。多分母は、宝石店で姉さんからもらった形見の指輪とよく似た指輪を見つけ、その後片時も肌身離さず身につけていたに違いない。そういえばいつだったか縁側で夕暮れの中、指輪を見て語りかけている母の寂しそうな姿を思い出した。

 私は五箇山から金沢へ向かう高速道路で車のハンドル握りながら過去に思いをはせた。幼年の頃、母に連れられて、昔、姉さんが住んでいたという大きな合掌造りの家に泊まり、そのあと母と小原ダムに行った時のことを覚えている。

 青い空でダム湖には水が満々とたたずんでいた。ダムの診療所の窓から陽光が差し込み、白衣を着た美しい保健婦さんがいた。その人が母が言っていた姉さんの娘さんで「山下みささん」だったことを知ったのは私が成人になってからだった。




スペース滝
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by spaceTAKI | 2012-04-27 08:53 | ■文筆 | Comments(0)