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金沢の野外展

友人たちが出品してるので雨の中出かけました。

解説します:
南さんは現役の高校美術教師。学生のころに喫茶「めるつばう」(Cafe Merzbau)に行き始め、私と知り合いになった。
喫茶「めるつばう」は金沢市尾山町にあり、藤花高校は近かったので、現在当館で資料など特別展示している「メルツバウの1日展」も見ている。(今は喫茶店も高校もなくなっている)

従って彼はコンセプトアート(concept art=概念芸術)世代の作家といえるが、研ぎすまされた概念の造形というより、どこか情的な表現を含んでいる作品を作って来たように思う。この、大きな繭玉も観念と言うより、ストリーがある。かぐや姫がカプセルで天に向かうのだが、代わりに当人が作品の一部として現実に乗り込めるよう四角い入り口をもうけた。結局、白い折り鶴を入れ東北の被災地に届けというふうに変遷している。

ともあれご覧のように、雨曇りの竹林に2灯の照明を抱いて浮かぶ作品は美しい。出入口が円形ならより美しいだろう。以上で解説はおわりたい。 
ところだが、スペース滝としてはそうはゆかない。蛇足を承知で長文をいれますので、気になる方は下へ:
金沢の野外展_d0329286_14271275.jpg
▲上記写真説明中、「NANAWO」を「NANAO」と表記するように申し出がありました。訂正します。

[概念芸術]考

まず、コンセプトアート(concept art=概念芸術)がもんだい。

1960年代に高校の推薦で買った私の中辞書には[concept]項目自体がない。1954年版の分厚い辞書には項目はあるのだが、(1)哲学用語[概念=general notion]、(2)[考え=thought]とある。で、逆に「概念」はというと[general idea]、と訳してある。つまり、この語「コンセプト」が日本で一般的になりだしたのはもっと後で、喫茶で「メルツバウの1日展」をやった1970年代なのだろう(小生、構造主義は未消化)。1982年の中辞書では「concept=概念、観念、構想、構想されたもの」と、すっきりして今様な一般的使い方だ。

さて、もう一つのもんだい、それはその70年代に”現代美術”が低迷し出したこと。そしてそれがコンセプトアートに起因したことだ。芸術とは難しいもの、解らないもの、というレッテルが貼られてギャラリーや美術館から人が消えてしまった。また、具象美術と抽象美術のちょっとした差のはずが、これを機に芸術と非芸術として互いに無視するまでに傷を拡大してしまった。(*この根は深くて、よけて通れない問題があるので、別の機会にページを割くつもりです)

で、これじゃあたまらんと言うので、20世紀の終わり近くに、現代美術は「ポスト・モダーン(Post-Modern)」と言い出した。簡単に言ってしまえば、近代化の流れは終わった、ここからは、それらの折衷か応用だ、ということになった。悪い言い方なら、何でも有りだ。わかりやすい。

とはいえ、それでは現代美術(Contemporary Art)とは何なのかがあいまいになる。私は世界的な動きと日本固有の問題をわざとごっちゃに述べた。読者が思い当たるところがあって解りやすいだろうと。しかし事情は各国で違うところもある。たとえば当然日本画は欧米にはない。つまり、現代美術というのは欧米美術にほかならない。あるいは欧米流の「美術=Art」という括(くく)りのことだ。明治時代ならいわゆる「洋画」であり、日本画に対する”油絵”のことさす。

欧米に追いつけ追い越せでやって来た日本。なにごとも世界に通用しないなら評価しづらいはずなのだが、美術界はすっかり出遅れた。今や世界に通用する現代美術では中国にぐーんと抜かれているらしい。金が動くという観点では”欧米美術”は世界美術そのものなのだから。

コンセプトアートを悪者のように書いたが、実はどんな絵も「構想」されており、ある「観念」的なものを宿しているし、「概念」的過ぎないようになどと先生から生徒が注意されることもある。要はコンセプトと言われるものも含めてのユニークな創造性に感性の輝きがあるかどうか、だと私は思っている。(虫人)


スペース滝
925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88  TEL0767-23-4401

by spaceTAKI | 2011-11-06 14:24 | ■美術/案内情報など | Comments(0)