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羽咋(ハクイ)能登語源6

謎のカタカナ4小古墳
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アイヌの埋葬は土葬で、木を切り墓標を立てるが墓参りはせず、火の神に各家で先祖供養をしました。死者たちも村をつくって同じ生活をしていると信じ、新住居提供のため元の家を焼いて送る風習さえあったと言います。

アイヌ語辞典では「塚」はなく、「tuk,-i=小山」「tus,-i=墓」がある。tu-ka(トゥーカ)はサハリン方言で「峰の上」、tuk-ka「突き出さす」なので同類語源と思われます。写真は一ノ宮。


カタカナ・4古墳を解く

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(ひらがな部分に高いアクセント)


断崖(支群)=osirusi(オルジ )支群→[siru→syo(シル→ショー)と読み替え]⇒オーショージ

 osirusi [=osiruji=オルジ]=「断崖」の意味です。
 siru[ル]を[ショー]と読み代えねばなりません。
 アイヌ語は「シ」と「ジ」を区別しませんので語尾はジ(si=ji) です。


(出崎、棚)そば=sam-san(ㇺサン)⇒ンサ⇒ザンサ山古墳
山から浜に出る、その所の=san-i-san(ニサン)⇨ンサ⇒ザンサ山古墳

 sam(ㇺ=ㇺ):そば、側、傍ら
 san(サン):坂、出崎、棚状の平野
 san(サン):[完全動詞]山から浜へ出る、後ろから前に出る
 -i(イ):[動詞・形容詞に付いて]所、時、物、事


カシワの木(ブナ科喬木=なめし革に使用す)がそこに現れる、行く、山の方に行く
 =kom-ni-o-oman(ㇺニ オーン)⇒ゴンニョモ山古墳

 kom(ㇺ=ㇺ):ドングリ
 ni(二):木
 o(オ):[複数を表す不完全動詞] そこに(複数で)現われる
 oman(オン):[完全動詞] 山の方に行く
 

平地が入り江状に入る山の部分=moy-sir-ke(イしルケ)⇒モスケ⇒寺家モスケ(古墳)
 
 moy(イ):入り江、浦、岬の陰の静かな海/山谷の中で平地が湾のように入り込む所
 sir(ル):地、山、険しい断崖
 -ke(ケ):[名詞に付き]所、部分



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④の地形は、昔に潟を海に通す川が南を横切り、入り江の干上がった「平地が湾のように入り込む所」そのもの。

また一宮村の端なので「国の下手」:(mosir-kes モルケㇱ)もありか。mosir(モッシル)は韓国語では「村」でkes(ケㇱ)は「端、はずれ」の意味。

加えて「mo」には小さいほうのものをさす接頭語が別にあり、これを加味した解釈は後日「寺家」の語源探求のときに改めて言及してみます。


滝崎の古墳時代は6-7世紀でしょうか、小さい古墳はけずって耕地化され今は見当たりません。魏志倭人伝でしたか、王にひれ伏す下層の人々が書かれてあり、上下の差は想像を超える時代。地元豪族や長(おさ)も塚を造ったかもしれませんが、神や命(みこと)と呼ばれる上層から、下の民が塚造りの使役にかり出された場合、その場所名は彼らの使う言葉で表わし、受け継がれたことでしょう。

大きな古墳は日本語名ですが、今に伝わる、小古墳場所の字名(あざめい)カタカナ表記が、アイヌ語辞典でつぎつぎ解読できると言うのは、その言葉を使った古代人が確かに居た証明というほかありません。でしょう?

「一般的に縄文人によく似ているのはアイヌ人。現代日本人のうちで縄文人の形質をよく保存しているのは北陸地方の人だそうだ。」『騎馬民族国家99の謎(松崎寿和)』1996年、産報。
中田虫人ムシンド


925-0005 石川県羽咋市滝町レ99-88  TEL;FAX 0767-23-4401

by spaceTAKI | 2014-01-31 18:27 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)