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羽咋(ハクイ)能登語源8

寺家(じけ)はむずかしい-2


「寺家(ジケ)」の名付けが、時期的には奈良・平安までとなれば漢字そのままの意味も可です。「寺」は役所の意味「家」は舎で、下記の意味になります。
寺家とは「役所・官衙(かんが)所」
これですと全国にある寺家という同じ地名の説明がつきそうですが、立地域の個性は失われます。考古学者は意味不明ともしており(遺跡などの裏付けが出来ないという意味か)、で、なぞときを続けます。



図や写真は地形を説明したもの
地域の個性をみています。
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アイヌ語で解く地理的"モスケ”

何をやってるかというと、モスケ古墳と寺家遺跡の地理的関係を現地で確かめてるんです。どうしてかというと、この二つの丘の"親子関係"が成立するかを地理的に比べているんです。

地図は写真に合わせて北が下。濃い緑は丘陵で七尾市からつづいていたものが、ここで海に沈み込む。一方、海岸には砂丘が攻めて来てここでぶつかる。すると、間に谷状のくぼみが出来、それを挟んで"親子"の丘が向き合う。
(以前に、モスケ古墳のアイヌ語の別解釈をでやっていますが、今回が本命解釈なのでチト大掛かりです)

モスケの親子関係は?

問題はどちらが親か、です。むろんスケールの大きいのはモスケ。ただ時間経過的にジケの方が先に営まれた聖地ですから、古墳を造った、-7世紀以前人の感覚からはどう見たってモスケはとるに足りないただの向かいの丘です。また、より海に近い方を丘陵の最端と見れば、モスケの丘は途中の小端の一つで、子とするも可でしょう。

家持(やかもち)は気多でなく気太で宿泊

寺家は長期にわたって祭事が行われた特異な遺跡です。渡来系の韓人が行う農耕雨乞い儀式の痕跡もあれば、神仏混交下での地元人私設・シャコデ廃寺遺跡(7C)なる仏教施設、隣には僧坊群(10C)もありました。朝廷も重視、748年には歌人で越中国国司の大伴家持が参拝してます。

彼は、志雄(しお)町経由の山越えで羽咋市に来てるんですけど、その起点は私がそもそも古代史アイヌ語に魅せられていった富山県氷見市「万尾(もお)」あたりから山越えしている。舟で来りゃあ楽でしょうに真面目(徴税視察)というか、好奇心ありというか…。(*一河川北筋を通っている)

彼は「気神宮」へ来ているのですが、お泊まりはモスケ丘陵にあった釈迦堂の一室だったかも、いや砂丘側の公の施設であった寺家遺跡の一隅か…。気多社僧坊群、および現「気神社」は創建以前なのでありえないのです。

気多神社はジケの生まれ変わり

しかし寺家遺跡は砂に埋もれたごとく14世紀には姿を消すのです。15Cには「気多神社」として、あたかもモスケ側に移転再生したごとく今の地に神社が誕生し、それのみが現存しているのです。祭祀(し)内容は昔と同じではなく、神事にのみ整理し継承かと思われます。(境内に隣接する寺院等はなごりか)

語源さがし的には「気神宮」以前が面白く、"モスケさん"が何者かは、近くの柳田シャコデ廃寺を建立した人物が適当かとも思われるのですが、シャコデはさすが「釈迦堂」と語源がふってあり大和言葉。この域にある古墳群や工人の遺跡は、韓半島の文明のにおいがプンプンします。

現気多神社の主神は大国主ですから、彼の出も韓半島絡みとしてよいとか思います。ただし韓人だったとは言い切れません。紀元前800年からの渡来人来邦(前3Cー後7Cの千年間に100万人)は半島経由でもほぼ3つの系統と、加えて縄文系も考えられますから。

寺家(じけ=しけ)の語源



<1>

■①山の末端(sir-kes じルけシ)、②山の所(sir-ke じルけ)、③山の頭(sir-key じルけィ)

  sir(しル、じル [sir=jir])=大地、山、断崖、所(のほか天候気温や昼夜、あたり中、など)。

 ①kes (けシ )=下のはずれ、末端、尻
 ②ke(ケ )  =[名詞・名詞語根に付いて]所、部分を表わす
 ③key(けィ )=頭

※石川県の辞典「加能郷土辞彙」は寺家遺跡発見以前の出版で、珠洲の「寺家」一項目があり「じけい」。アイヌ語では「イ」があれば珠洲の寺家は「③断崖の頭」。


<2>

 si-(シ、ジ)=真の(大きい方の)、を語頭としたばあい

[si-]は[mo-]と反対語の対で、近くに有るモスケ [mo-sir-kes=小(子)・大地(山、所)・末端、-尻]古墳をその対と考え、谷を挟んだ海側の寺家遺跡を"親"とする場合の解釈です。(※注1)

■①真の(大きい方の)末端(si-kes ジけシ)、②真の(大きい方の)(si-key ジけィ)

  si-(ji-)(シ、ジ)=真の(大きい方の)

 ①kes (けシ)=下のはずれ、末端、尻
 ②key(けィ) =頭


(※注1) 実は資料の見落としがあり「寺家遺跡(発掘調査報告書総括編)第8-1図」に「シカモ」と言う小字(こあざ)名を見つけました。モスケ前の谷を挟み真向かい(寺家遺跡祭祀跡から300m西の遺跡内か隣接地)。
「シカモ」をアイヌ語のsi-kamuy(シ・カムイ=大神、真の神)由来と見た場合、シカモ⇔モスケ」→シケ(ジケ)=寺家 の関係を別途に整理できる気もします。

が寺家遺跡の"聖地性”を『シ・カムイ』アイヌ語関連とするには、資料の無い時代に遡っての縄文ストーリーが主となり(とても興味深いですが)、私説過多の仮説のみになりそうなので今は割愛させていただきます。
 虫人


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by spaceTAKI | 2014-02-09 17:50 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)