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苦と句のあいだ


「窓に映ゆ 夕陽を下位に 秋の月」虫人(むしんど)

「日と月が ススキ野挟む 西東」虫人(むしんど)

台風一過の夕暮れ、夕陽と大きな月が向かい合う。陽を映すビルの窓がまばゆい。一瞬、誰もが蕪村の句を思い出し、句は春であるが今は秋と季節を想うだろう。

菜の花や月は東に日は西に」蕪村(ぶそん)=蕪村句集

一時蕪村の風景の中に立つ自分を見いだす時、文学であれ他の芸術であれ、作品と心底で共鳴して人はそれをいとおしく記憶にとどめるのだ、とあらためて知る。
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月と太陽を同じ左右に見ても、季語一つで世界を変えられる俳句の妙。私は、五七五調にはまったらしい。世に多くの専門家や愛好家がおられる中、俳句と言えるのか声高に言えないし自信もないが…。能登の地名の語源探しから始まった末に、私はとうとうこんな横道にそれてしまった。



人の記憶は、「いつ?」はあいまいでも、「どこ」での方は確かだという。地名が1000年を超えて受け継がれるのは60%、変化したものや市町村外の地名、昭和になって消滅したものまで加えれば97.4%が残るという(「卑弥呼と邪馬台国」安本美典=1983年、PHP研究所)
 これに対し時間の記憶はあいまいで、何時の事かが難しくなる。まして私の知りたいのは2000年前頃のこと。文献といえば、諸説乱れる"卑弥呼の倭人伝"ぐらいの時代。考古学的に時期が絞れたとしても、伝承事や文献との付け合わせがうまく出来なければ混乱は増すばかり。

 いまや個人的興味は「大国主」になってしまっているのだけど、実像に迫ろうとすると古代史の迷路に入り込むことになる。紀元前後の数世紀、どだい、一筋なわでは行かない。たぶん、幾筋もの流れの中でヤマトに集約されていったのだから、”大国さま探し”は各地の古代地方史までもが守備範囲となり、私には広過ぎてこの処は居心地が悪い。かと言ってそこから逃げ出だすわけにもいかない。

 国立民俗学博物館の松原正毅氏との対談「日本語と日本人ー司馬遼太郎対談集ー」(1984年、中公文庫)の中の、「韻を踏まない日本の詩や、母音で終わる日本語の特性」などを読んでいるうちに、俳句を詠んでみたくなった。日本人の私が日本語の地名語源を考えるおり、中国や韓語、アイヌ語もさることながら、日本語のエキスのような俳句という短詩に興味を移すのも悪くはない。

 同書の項で「日本語の源流探求は徒労?」という小見出しがある。日本語という独自な言語は日本人という独自な人種と同じく、先には進めない島国という吹きだまり坩堝(るつぼ)の中で、幾多種の混りものとして生まれた。その成り立ちや道筋を考えても、複雑な迷宮の中をさまようのみで、出口が見えぬらしい。(注1)

ここは一服お茶にして、どっぷり日本人的に一句をひねってみるのもいい、と言うやや居直り気味、開き直りの拙句です、ご勘弁のほどを。虫人

(注1)後に当ブログでも触れる「大和語タミール語源説」は五七リズムとも関係があるとして興味深いのですが手元資料不足、そのうち何とか…。
 ▷関連[ (羽咋(ハクイ)能登語源5)縄文人と弥生人の言葉 ]へ

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by spaceTAKI | 2014-10-08 10:49 | ☆歴史/能登.羽咋語源 | Comments(0)