老人はまたやった
おひまならお付合いを、まいごコースをご案内します。
倭国大乱(2C半?)のころの高地性集落、能登と加賀の境にある大海川の横にある台地の「大海西山遺跡」へ行きましたが…。
(地図上ふり仮名は「おみにしやま」か)
漫画家の田中雅紀さん提供の新聞記事によると、著者はバスで瀬戸に着き大海川を渡ったと書いてます。A・瀬戸(北側)からB・夏栗(なつぐり)集落(南側)には入ったのでしょうが、この後ろ台地に遺跡があります。
私は車でぐるぐる瀬戸の里山で迷った末、紋平柿(=さわし柿)の柿の木畠で作業中の男性に教わって川向こうの村と知りました。記事の「夏栗集落」を見逃していたためです。(遺跡のある台地中央部は瀬戸町域です)
村には案内板もない地域で、ここでも迷い、大国神社(F)の裏山を勘で当て、駐車場らしきKに車を留めました。
山道は、岐路ごとの小さな標識に「曲がれ」とあり、これが3回ほど。すぐ、と思ってたので帰りの心積もりはゼロ。これが大迷走の原因でした。教育委員会は、農作業道であることに気を遣い「車を置いて歩いて…」という案内表現をしたのでしょうが遠い。初めての訪問者や老人には里山道歩きは径も多くて危いです。
帰り口も一度間違え、気がついて引き返し、遺跡上から煙りが見える方向の道をあらためてたどったつもりが、ここでも一筋間違えていたのです。
幸い散歩中のお父さんに遇い「大海川は?」と尋ねると、方向が反対だから山に戻れという。それだけは嫌だというと「このまま下れば大海川に出て、沿えば海まで行ける」とアドバイスされる。早く車の中で休みた~い…。
裏側の盆地、C・元女(がんにょ)地区で、遠くに川の気配が…。
奈良平安時代は焼き物の里で、100カ所ほどの窯跡が出てる地域。横切るのが国道471号線。
ようやく自分の居場所の見当はつきましたが、車は川沿いを迂回して丘上のはず。夏栗集落(B)まで歩き続けるほかありません。
写真は夏栗の石段から大海川を日本海方向に見た西側の平野。
正解だった!!。
大国神社(F)の境内に出た。
乾いた軒下でようやく腰を下し、元気も出た。自信はないが、この先に駐車場があるはず…「あ、白い煙り、助かったあ」。
かくして、無事?帰還したけど、お昼はとっくに過ぎ、盛土神社先の広域主要道にあるコンビニでサンドイッチを買い車内食。
すると、たちまちフロントガラスは土砂降りの雨がたたき始めました。
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