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人色々々-42 /マンガ歴史1

[田中雅紀氏の連載マンガ]
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マンガの歴史のこと 1


6月2日
私、細々ながら50年もマンガを描いてきて、マンガの歴史というと「鳥獣戯画」や「北斎漫画」が頭に浮かぶぐらいで、その他のことは全く無知なことに気づきました。それで少し調べてみようと思いました。ネットで検索をしまくり、おかげで興味深いことを色々知りました。その一部を短くまとめてご紹介します。

 平安時代
「鳥獣戯画」は絵巻物。滑稽画として日本最初の漫画と言われている。この他にも漫画的表現の絵巻物に、人物の横にセリフが書かれたものがある。

 江戸時代
彫りと刷りの木版画技術が発達して、浮世絵版画が商品として出まわり、戯画的な(漫画風の)浮世絵も生まれた。普通に「北斎漫画」と言われるものは、北斎が弟子や画家に絵手本として描いた木版刷り冊子で、漫画=萬(よろず)の画の意味とも、漫然と描いた絵だからともいう。外国では「北斎のスケッチ画」と言われている。歌川広重ほか多くの浮世絵師が戯画も描いている。絵に文が組み込まれた読み物「草双紙」が流行る。十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の「東海道中膝栗毛」は文も絵も一九が描いた。

 明治時代
新聞や雑誌で、漫画(風刺画)が盛んになる。漫画誌も創刊され、コマ割り漫画も描かれる。明治初期の漫画家は浮世絵師の転身が多かった。
( 近代コマ漫画の創始者はスイスの漫画家で、1837年の作品)

  大正時代
このあたりから漫画のコマ割りやフキダシの表現が定着。

 私は以前から感じていたのですが、西洋の絵画は対象物を光と影と色で描くのに対して、日本画の多くは対象物を輪郭線で描きます。この線画自体がもう “まんが”ではないか(線画と戯画の区別はしなくても)と。現代のリアルなストーリーマンガの絵には、「滑稽画 = 漫画」は当てはまらないですから。
それに物語(ストーリー) 。平安時代には世界最古の小説と言われる「源氏物語」があり、「源氏物語絵巻」が創られています。江戸時代から明治にかけての草双紙にはエンターテイメントな物語がたくさん発表されています。つまり日本には “マンガ” が生まれるべきして生まれる土壌がしっかりあったということでしょう。
ある人は「縄文時代の土偶のデフォルメはあれは漫画だ」だと言っていたが、それは、どうでしょうか。
     ( この続きは次回で!!  昭和からのマンガを紹介します )  

 田中雅紀      




※参考:[スペース滝・収蔵品]から

草双紙(後期「合本」スタイル)の一つ『時代鏡』では、各編の表紙画が連続するユニークな絵柄になっている。たて18センチ。
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北斎漫画』江戸後期〜明治初期、尾張・永楽屋東四郎版。
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風俗画報』第40号表紙、明治25年、東陽堂。(活字版に石版画を加えた編集)
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寓意画」は同誌の同号に見られる2つのマンガ。明らかに欧米の「漫画(caricatureカリカチュア=①こっけいな絵、②社会風刺の絵)」を転載か模倣したコマ続きのマンガだが、表記は「寓意画」で、後に定着するいわゆる「漫画」と異なる認識のようだ。ヤシの木で虎がぶっ飛んで助かった話、泥棒の独り占めの話で軽いのりだが、題名が漢文調で重々しく、サイレント漫画(絵のみのスタイル)なのに「絵解き」と称する活動弁士風の教訓めいた説明文を空白部に入れ込んでおり、伝統の”草双紙のスタイル”にしている。(中田むしんど)
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スペース滝
925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88  TEL 0767-23-4401

by spaceTAKI | 2019-06-02 15:21 |  人色々々(花丸ゆう) | Comments(0)