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ご先祖さまは”脱落”南下組み? 

日本人・列島までの長い旅(2)
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振り出しにもどった」か?


 現人類がアフリカを出て東アジアに来たコースですが、斎藤先生の本のルートを、細い色線で重ねてみました。下段は私の補足と見方です。
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 日本人の成立は、縄文系の人たちが住んでたところへ、半島から弥生人が割り込んでできた、という「二重構造説」が今では定着しています。で、縄文人はどこから来たのか、南からか北からかが課題でした。

 たとえば富山県の呉羽丘陵から出た前期の遺骨はすでに「北と南が混在していた」との結論が新聞などで報道されました。
しかし、2018年刊斎藤成也著『日本人の源流』では「振り出しにもどった」と言っておられます。どういうことか? 次の系統図を同書から引用させていただきます。
私が付けた赤色の線にご注目。

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 系図の両端に「シベリアの古代人」がいて、ほぼそれと同時期に東アジアの北から南下した人々がおり、この”東アジア組み”は「縄文人」(赤色)と「他のユーラシア人(南米行きを含む)」に分かれている。つまり、赤色の縄文人は南に行った方でもなく、北東に残った方でもない。それは単独一派のみで一直線に日本列島に来る! 一体彼らは何者か=”振り出しに戻った”と言うわけです。

 さて、ここからは私の推論です。4万年前ごろに大陸に残った人と列島(当時は地続き)に来た人に分かれたが、縄文人はあまり変わらないまま古い資質を遺し、かたや大陸組は寒冷化に適応していった。いずれの環境も寒冷でしょうが、やや南めの海や湖(後の日本海)に近い方が過ごしやすかったでしょうから可能だった。また、当時は広い極寒のツンドラに家族血族集団がまばらに散らばっていたと考えられるため(B.フェイガン『古代文明と気候大変動』河出文庫)、縄文系がたまたま原始(南方)系資質を多く伝えた小集団の人々だった可能性もあります。

 しかし、もう一段系統図をさかのぼると疑問がでる。一旦はシベリアに適応して卵に目鼻ののっぺり顔になった人(シベリアの古代人)が、どうして再びヒゲモジャ・獅子鼻の彫りの深い縄文人に戻ったか。やっぱヘンだ。「?」マークは消えない。
DNA解析をした三貫地という東北地方太平洋側にいた縄文人のみがもたらした特殊な結果であり、今後は富山県の呉羽縄文人のように南北混合という縄文人骨解析が主流をなしていくのしょうか…。

縄文人と同じDNAを持つ古人骨がいつの日か大陸で発見できれば、そこが彼らの故郷にはなるでしょう。ただそこは他の東ユーラシア組などの故里でもありますから、我が縄文人こそが、それら全てのご先祖さまで、南のニューギニア組とは兄弟にあたるわけです。この系統図はそんな大事も秘めているようにも見えます…。

縄文人は環境適応まえの南下組


 ところが、前述のブライアン・フェイガンの『古代文明と気候大変動』(2008訳,河出文庫)では興味深い記述があります。縄文人が生まれる一つ前の、系統図の両サイドの「シベリアの古代人」が、今の日本人みたいな弥生系のモンゴロイドでなく、まだアフリカを出た時の古い形質のまんま酷寒の北アジアまで来てしまった、というフォフェカーという学者の説です。

 彼は、この地で人が住めるようになったのは1万5500年以降で「氷河時代末期のシベリア人は、今日のイヌイットのような寒さに強い北方民族より、手足の長い種族だった。彼らはまだ、クロマニニョン人と同様、アフリカの祖先のように温暖な気候に適した形態特徴を備えていた。」と書いてます。現アラスカの米軍の調査から引用したものだそうです。

 私にはこの「クロマニョン人」の箇所を「縄文人」に置き換えて読めば、彼らの出自・”南北問題”クエスチョンはすっきり片付くように思われます。シベリアに進出した人たちの時間的な辻褄も合いますから、この説をとれば、系統図の赤い線上のアイヌ人(縄文人の形質を多く受け継ぐ)の毛深い顔のイラストはすんなりここに馴染むはずです。 中田むしんど

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