Japanは日本、japanはウルシ
友人が言った「掘ればどこでも出て来るんじゃないの?」。
長い時間、狭い日本にかようにうじゃうじゃと人が住んで、裏の畑を掘るならば瓦や瀬戸物がザクザク出る。珍しくもなかろう。もっと身近で大切な現実的問題が様々ある。古くて遠い昔の何がいい、と言わんばかりであります。
反論しますと、全てのものは変化し土に還る。まして人や動物の痕跡は消え去ってあたりまえ。しかも辺りじゅうを掘るわけにもいかず、当たったのは特別の環境による偶然なのです。身近な出来事は重要ですが、現実は否応なしに迫り来る絶え間ない”課題”の連続でありまして、むかしから言いますよね、「苦の娑婆(しゃば)」だと。”昔ばなし”はそんな中に咲く夢物語、非現実の現実、つまり想像であり創造であって、まさに"アート"なのであります。
能登は和倉温泉に遠くない、三引(みびき)という、七尾西湾から1キロ奥まった山間の村から、7200年前(BC5200)の赤い漆塗りの櫛が出ました。炭素14を使い、誤差の修正(cal bp)もした信頼できる数字です。自動車道の工事で橋脚を立てるためには4、5メートル掘るんでしょう。この深さなら7000年前の物が出ます。新幹線や道路の新設で掘りまくっても遺跡にぶち当たるのはほんの一部で、ザクザクは出ないのです。
高度技術の漆塗りの櫛としては世界一古い。漆や漆器のことは英語でjapanと言うほどですから、この記録は当分破られないかもしれません。もっと古いものが作られていたとしても、条件が揃わないと遺らないでしょうし。
三引(みびき)遺跡に行った時の印象は「こんな平凡で大きくもない谷間の入江で…」という感慨でした。三引で作られたかは分からないけど、能登は輪島塗りのように漆加工に適していた地の一つと言えるでしょう。ただ、いかにも古い…。
縄文期の他の文化圏も示す図を作りましたが、ご覧のように三引は先端を切っています、すごい! と思いません?

図のように研究者の立場で時代区分に差があります。私のような素人は絶対年代数字のみが頼りです。図を作りながら、なるほどこうなんかあ、と理解はしますけど、素人泣かせです。
どんな人物の持ち物だったでしょうか。青森県の三内丸山遺跡の発掘後『縄文時代の商人たち』(2000年、小山修三・岡田康博、洋泉社)という本が出て、「日本列島と北東アジアを交易した人びと」という副題が付いており、帯に「ヒスイ、黒曜石、コハクなどを交易する”縄文商人”が活躍していた」と書かれています。ウルシは、日本起源説が有力になってきている、ともあります。
縄文時代は指導者の存在など、すでに階級社会的まとまりがあったといわれるようになりました。同書で”商人”と言っているのはその指導者層に属す人、つまり祭祀の中心人物だと書いてます。
三引の櫛の持ち主も巫女(みこ)だったでしょう。ここでは土偶も出てきていて、全ての土偶はその身体の一部を欠いて、病の治癒を目的にした祈祷と関係があるとの見方が有力なので、この地域でも特別な立場の人物がいたと思われます。巫女とは言っても後の神社の巫女さんのイメージとは違うでしょう。霊感があって、相談事や迷いごとの解決に頼り甲斐のある実力者だったでしょう。経験豊かな老女、と言ってもこの時代は短命でしょうから、アラフォーぐらい(?)。十分赤い櫛は似合ったでしょう。
次回、気になる三引での暮らしと、語源も探索してみたいと思います。(つづく) 中田むしんど

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