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縄文海進でどんどん海が迫ります 

日本人、縄文・三引の里をめぐって(3)

海進のピーク前


縄文海進のピーク時には、どうやら三引遺跡は海に飲まれたようです。正式な調査報告は一応終わっていますが、それを踏まえての解明など今後も研究が続くのでしょう。10000個以上の袋に、遺跡まるごとサンプリングして保管し、環境の復元を試みたといいます。大変、でも面白そう。

 地図は三引の櫛(今から7200年まえ)からさらに遡ること、800年まえと2800年まえの海岸線です。

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金沢とその南の旧松任市はやや高くてピーク時でも海の下になることはなかったのですが、木場潟など加賀三湖があった南加賀や、河北潟のある北加賀の周辺域平野はすでに海の下です。七尾市街もピーク時には沈みます。

問題は七尾西湾です。残念ながら資料地図は七尾湾が調査域外で、わずかしか描けてません。「能登島」と私が書き足した辺りを見る限り、黒点線の時代はまだ島とは地続きで、七尾西湾は淡水湖(中島側も地続きであれば)と思っていいようです。

 三引川がそれに注ぐところに「田鶴浜野鳥公園」があり、看板にひび割れを伴った地図がありましたので加筆し、載せます。「橋」と加筆した所が陸続きだったでしょうが、三引の貝塚は海の関連遺物が豊富な遺跡です。が実はそれ以前には、山と関連する縄文人がいたに違いない、と私は考えています。

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次回はそれらをクローズアップして、焦点の「三引」にぐーんと近づいていくつもりです。 中田むしんど

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