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縄文訳・三引=[清水が湧く池・里山]

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三引」のアイヌ語訳
(ひらがなは高音アクセントを示します)


◾️みびき:

mebi-kim(めビ・き)=(それの)清水が湧いている池・里山。

  •  mem, -i め:mem(めm=泉池、泉沼、清水が沸いている池、etc)、に母音が加わり「 mem-i 」と発音されると「誰それの〇〇」という意味に変化する名詞です(=名詞の人称形語尾変化)。「概念形」という名詞が、語尾に人称を抱合し、「人称形」になるのです。
     また同辞書によれば、mem は mep転訛(なまり=corruption)します。アイヌ語は清濁音区別がないので、人称形語尾変化では(母音に挟まれる場合などで) meb-i と濁音発音されます。意味の上では、「泉」が三人称「それの(=山という神)」の「池」であることが示されています。
    ※(抱合語は、このように、一語の中にいくつかの語が抱合(抱き合わせ)された形で構成・表現されます。虫人)

  •  kim き:里または沖合に対して云う「山」。生活圏の一部としての山。村の背後の生活資料獲得の場としての山。(以下省略)


以上が辞書をもとにした解釈です。mebi-kim(のちmibi-kiと訛った)は生活のテリトリーそのものを示しており、彼らの土地の名だったろうと思えます。

※ 次に訛りですが、後の弥生人との接触や、7千年という時の経過や地理的な方言の可能性も含め、以下のような発音変移があったと推定されます。
 mebi → mibi [ e → i (の母音変移)]。 kim → ki [m (語尾子音の脱落)]→ mibi・ki(みびき)。


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■あかくら:

  • aka-kur-a (アか・ク・あ)=尾根(山稜)・神(魔)(それが)座す。
  • a-ka-kur-a (ア・か(かー)・ク・あ)=我らの(鹿、猪の)わな・神(魔)(それが)座している。


※「② a-ka」の接頭辞「a」は一人称を表わします。したがって最初のaが主格。 最後の「a((完全自動詞))」は一人称を接尾辞で抱合する動詞ですが、ここ最後尾に語尾人称が加わっていないのは、第三人称(=それが)であるからで、このばあいは何も付きません。




 三引の背後にある「kim=きm(生活の里山)」は、「赤蔵山(179mh)」です。
アイヌ語訳では、aka-kur・a「尾根(山稜)・神(魔)(それが)座す」、または、a-ka-kur・a「「我らの(鹿、猪の)わな・神(魔)(それの)座している」と訳せそうなので①と②を並記しました。
 神と魔が同列なのは恵(めぐみ=良)と危険(悪)をももたらすからです。②の「それの」は神なる山をさすか、罠(わな)も神であったのか、私にはむずかしいですが、たぶん、神(-kur)は山をさすでのしょう。

 山も生き物のですから座っています。この山へ入るとすぐに、霊泉といっていい神秘な水をたたえた池があります。「全国名水百100選」に選定されている「御手洗(みたらし)池」です。硬水と違い、軟水は地殻変動の影響なく長期に存在しえるでしょうが、深さや位置は、縄文海進による海面高や自然堆積物で今より相対的に下方だったとも考えられます。遺跡では珪藻土地層が確認されており、辺り湧水のろ過を担っていることでしょう。

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※「クラ」などの問題


 アイヌ語は、イヌイット語やネイティブ・アメリカンの言葉と同じ「抱合語」という古い言語に属します。文法などの説明は省きますが、和語(同系のハングル)や、中国語とは異質です。また、その世界観=言葉の背後にある物自体の捉え方も違います。山や川などは生き物として捉えられているので、現代人の感覚ではただただ謙虚に耳を傾けるしか理解の手立てがありません。それだけに新鮮で興味深く、感動もしますが。

 三引の語源を、私は「それの清水が湧き出ている池・里山」としました。
 各地の「クラ」地名に(ここも含め)池があると「入水した戦国武将の鞍が水面に浮き上がる」と和訳の伝説がつきますが根拠はないでしょう。

ノリクラ(スキー場)は縄文語の(=十分に・高い・低い所)の意味でしょうし、クラカケ(鞍掛山*)なら「(それの神が)座す・上・所」という訳ができそうです。

ちなみに東北北部地方の巫女で口寄せをする女性をイタコといいますが、itak-o =「言葉が・沢山生じる」というアイヌ語訳が可能です。

奥能登には「あえのこと」という神様を迎え供食する神事があります。『「アエ」とは能登の言葉で「餐=食のおもてなし」』、『「アエノコト」とは「アエ=饗」の「コト=祭り」を意味する(wikipedia)』とネット情報は語りますが、「ア・エ」はアイヌ語で「あなたが召し上がる」と言う意味を持つ敬語体です。

ブログの「イスルギ彦ふたたび」では ▶️イスルギ彦ふたたび「姉倉姫の語源も書きました。

(*:加賀市、小松市、山中町の境にある船見岳(478mh)のことで、鞍に似た2こぶの山に見える。古語辞典では「座(くら)=席、座る所、物を乗せる所・台」なので、アイヌ語のkur-a(人・神が座っている)と意味が重なります。)




縄文訳・三引=[清水が湧く池・里山]_d0329286_08505196.jpg このように東北や北信越の山や民俗には和語と重なったり、和語では意味不明となるものが見出されます。アイヌ語であると書かれたり言われたりしても、一般的あるいは学問上の定着は今もあやふやで、決定打を出すのが難しい分野のようです。

 実は此のシリーズを始めたきっかけ本:『日本人の源流』(国立遺伝学研究所)斎藤成也著、に言う「第二波の渡来人」たち、がその言語変化のカギを握っていそうで、最近のDNA研究(Y染色体)では稲作を持ち込んだのは中国の江南、長江流域から稲と人が来ており、当ブログでは「広東語が日本語のルーツ」かというテーマを書いています。しかし語順や、てにをは助詞はモンゴル語系列であり、ミトコンドリアDNA解析ではロシアのバイカル湖付近からも縄文人が南下しています。アイヌ語=縄文語でもありませんから、 問題の背後は奥が深そうなのでありますが。
中田むしんど

スペース滝925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88