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海に沈んだ三引を旅する 

●縄文海進ピーク時期の三引とその周辺縄文遺跡
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◾️<日本人、縄文・三引の里をめぐって(5)>

古・三引の記憶


 昭和初期までの地名は千年たっても80〜90%は残っていた、そんな統計研究結果を読んだことがあります。

三引と赤蔵(山)のアイヌ語訳


  • 三引:mebi-kim → mibi-ki:「それの清水が湧き出ている池・里山」。
  • 赤蔵(山):①aka-kur-a:「尾根(山稜)・神(魔)(それが)座す」、
         ②a-ka-kur-a:「「我らの(鹿、猪の)わな・神(魔)(それの)座している」(+山)。


  • (※ 解読の詳細は前述のページ「縄文訳・三引=[清水が湧く池・里山]」をご覧ください。)


     アイヌ人が暮らす北海道と違って、他域の古地名をアイヌ語で解くのは難しい作業になります。
    アイヌ語辞典は規範を定めた”国語辞書”ではなく、いわば方言の体系的寄せ集めですし、もともと祖語が同じでもアイヌ人は大陸の人と交流して違った歩み方をしました。ですから縄文語そのものではりません。

     斎藤成也先生のDNA研究の近著では、第一派(縄文人)が定着した後、第二波、第三波の渡来系人があったとされます。古い地名が残ったとしても、渡来人の発音や文字表記化で歪み、大和言葉との重箱構造(上下の付け足しや変換)も起きています。北海道のアイヌ語地名を日本語訳する時にさえも間違いが起こる難しさがあるというのに、本土の縄文語地名をアイヌ語で解読するのはさらに危さが伴うと思っています。

     今回の語源探しは遺跡の内容や地形から「海や湾の地形と関係する」だろう、という当初の勘はあっけなくはずれました。半分は、「三つの水源から」と和語で解釈した”角川地名大辞典”が言い当てており、後の半分は海ではなく山でした。解釈は主に故・知里真志保著『地名アイヌ語小事典』などから導いてますが、信頼性に定評があった第一人者です。

    三引で暮らすこと


     ここでは縄文海進ピーク時の三引と”櫛の女”を考えてみます。いわば”記憶の旅”です。

    自動車道の建設で遺跡が発見される以前、この地区の中田ですでに縄文遺跡が出ていたと知りました。
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    文面から、中田はブログ「日本人、縄文・三引の里をめぐって(4)」の地図で「C」と記載した谷内の一部にあったと思われ、土器か石器が出たのかも。ここは海には飲まれずに済んだ域と思われます。

    ゆるやか過ぎの勾配

     写真は平野から海側を向いて撮った「三引川」です。勾配がなくて止まって見えましたが、浮いてる木の葉をジーッと観察しますと1秒に10ミリほど流れてます。海に出るに1日以上かかる計算です。

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     冒頭・縄文海進のピーク時の海岸線地図では三引は海面下です(緑の線)。ただ、これほど勾配がないと波打ち際はすこぶる不安定です。本日9;20am現在、私の住む滝港の波止場は海面が70cm下でした。これが温暖化の昨今、低気圧や台風が満潮時と重なると波に沈みます。三引では干潮満潮時間や気圧変化に加え気候変動で海は出たり退いたりの状況のはずで、貝類はもとより、逃げ遅れた小魚を手づかみ出来たかも知れません。

     が、当然この気まぐれな海より基本は山のドングリなどの木の実をあてにした暮らしだったと思います。たぶん女性や子供達はその良い働き手だったでしょう。学校がないので嫌な勉強は不要、実益ある山遊びの日々。なんと幸せな! 私の子供時代を思い出します。

     赤い櫛の女性も例外ではなかったでしょう。いざとなれば皆に頼られる霊感のある知恵者の彼女も、日常的にはちょっと変わった老婆として扱われるだけで、皆が似たような暮らしぶりだったでしょう。病人や死人が出たり外来者があれば、最終彼女の出番はあったでしょう。狩や家などの新築といった集団行事では儀式の進行と祈りを行ったかもしれません。珍しいものを貰い受けるなどの特権があっても誰も不満ではなかったと思います。

    「ウラ」が秘める気になる問題

    ● 赤浦貝塚遺跡 ●


     冒頭の地図では”櫛”より後の、縄文海進ピーク時期の主な他遺跡を赤丸で印しています。この時代は自然の獲物で生活するので、互いのテリトリー(縄張り域)を避け、隣村はグーンと離れていたそうです。交流はあったでしょう。
     右手七尾寄りの「赤浦(潟)」にある貝塚遺跡は古くから存在が知られていましたが、ここでも「赤=ア・カ」が付いています。「浦=ura」をアイヌ語解釈するのは難しいですが、知里真志保著では「wor(うおル)」は水を表し、大和言葉の「潤おう、水潤む、うるかす」と関わるかも、と言及してます。英語でもウオル・ターですよね。仏語では「オ」です。

     「」=「wor-a(うおル・あ)=水・座する」が成り立たつかもしれません。現在の赤浦潟は、内陸に入り込み居座った水の姿のようでもあります。
      赤浦が「a-ka-wor-a」なら=「我らの・わな・水・(それが)座す」となります。わなは本来山野に仕掛けるが、そこでは水の中に仕掛けたことを意味しているかも知れません。
      アカ・うおルお、がアカ・ウラに訛ったのならば(=語尾のaがoなら)「wor-o=水に浸けておく」意のアイヌ語地名が現存すると、辞書にあります。 赤浦は「a-ka-wor-o=「我らの・わなを・幾つも水につけ置く」となります。(oは不完全動詞なので主体は語先に抱合します)

    「浦」も古代祖語と無関係な大和言葉とのみと断定するのがはばかられます。が果たしてどうだったでしょうか…遠い昔の話ですから。 中田むしんど

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