印内
縄文・三引の里の隣の大津から、さらに南下した盆地平野の山裾に印内(いんない)と言う名の村があります。北海道の地名で「-ナイ」が付くと「〇〇川」の意味で、inun-nay「イぬン・なイ」はアイヌ語訳で「漁のために水辺に出向いて滞在する・川(沢)」の意で、村を離れて長期滞在する出村のような域と解釈できます。
そこの平野は半島の両サイドへ流れ出る水源がいくつもあり、水さえ豊かならイヌン・ナイに相応しい漁場と言えるのですが、山々が低く水量はありませんでした。アイヌ語起源としてはやや苦しいかと思われます。
しかしアイヌ人が漁場に滞在する習俗には興味深い記述があります。彼らは夏の半年をそこで暮らし、冬には村に戻って穴蔵暮らしで猟を業とするというのです。三引人や大津の縄文人は気温の高い時期の南域の住人であり、同様の生活とは思いませんが、もしサケ・マスの遡上さえあればその地の滞在は十分考えられます。印内には山腹に造られた時期不明の横穴群がある、というネット情報も気になりました。
面白いのは彼らの時間感覚で、古くは季節が、漁の「夏」と猟の「冬」しかなく、年を数えるに「夏一年・冬一年」と数えたものが我々の一年だったそうです。「以前には、昼と夜というの2種の日があって、それらが交互にやってくるという考え方があったらしく思われる(地名アイヌ語小辞典)」と知里真志保は書いてます。
DNA解析で縄文人が古いタイプの人々と知った今日では、この時間感覚が氷河期の季節感や日の沈まぬ極地の太陽・白夜の記憶を遺しているように私には思われます。現実的には、狩猟民族的な自然観察から昼夜逆転した行動をする動物たちの別世界があるということが、その感覚を生み出したとも思われます。
この時間感覚は私にはとても新鮮でした。夜と昼があって1日と誰もが疑わないけれども、もしどちらかしかないとしたら、例えば深海の生物や白夜に於いて、1日や一年といった生物的時間(生殖や寿命の時間など)を何がどう決めているのか、です。
また、たとえば、炭素14年代測定法は、生き物が死んでどれだけ放射能が減ったか、炭素の放射能崩壊から古い年代測定に利用する技術だけれど、それは時間はあっても昼も夜もない物理的時間です。だから人間が理解しやすいよう、紀元◯世紀ごろなどという”人間語”に翻訳しなくては意味をなさない時間です。
縄文人は同じ人間だけれど我々と違う時間を生きていた、という発見は固定概念を覆してしまう夢を抱かせます。生物にとって時間さえも主観的で、変え得るものだというまっとうな認識です。
ともあれ印内に出向いたのです。ネット情報などでは線刻絵画が描かれた横穴の記事もあって、ついに3回目の訪問です。

土曜日で、印内の集会所近くでは子供達が遊んでいて、それを見守るお婆さんに聞くと、以前ブログにあげた鯉のぼりの立派な家前を右に折れ、山裾を行くと看板があるので横穴は分かるといいます。









結果の委細は案内板写真が説明してますので私は書くことがないのですが、縄文時代は2m〜4mぐらいの地下に痕跡を遺すわけですから、海進で海が遡り、水量が今より多く、昔の中島地区のようにサケ、マスの遡上があれば、これらの河川域にはアイヌ語語源が生きてきます。
荘園時代前の「都知院」という郷名がここのみに残り印内となった(角川地名大辞典など)が定説のようですが、なら、院内と書くべきだし都知(村)でもいいので、何で印なのか…。古墳から出た土器を洗ったら川が赤く染まったから印内、という伝説もあるそうですが(同書)。

”Cofee break”としては、ファンタジックな縄文アイヌ語説で〆たい処ですが、ぬかるんだ急な道無き山道を心臓ばくばくさせながらも怪我もなく「墓」から無事生還できて正直ホッとしてます。以前、ギターの垣田氏を雨の宮・前方後方墳へ案内した時、彼は足をくじいたのだそうで「たたりだあ」と密かに思ってたらしいです。”縄文巡り”は好きですが、古墳巡りは私も苦手です。写真、カメラを差し入れただけで中には入ってません。 中田むしんど
925-0005 石県羽咋市滝町レ99-88 TEL; 0767-23-4401

