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あるとき絵の注文が入った 

田中雅紀の「とんとむかし23」 少年期

痛い失言、言葉の誤解


 旧国立山中病院の建物は、病棟も渡り廊下も板張りの床だった。床の掃除はいつも2人のおばさんコンビが担当していた。1人は太め、もう1人は普通の体型だった。2人は食事の配膳なども手伝っていて、ほぼ毎日のようにきているので病棟の子供たちとも仲良しだった。

 床の掃除はモップの水拭のほかに、何ヶ月かおきにガソリンを水で薄めたもので床を拭いた。本当はガソリンかどうかは分からなかったが、油の強い匂いがした。ぼくはそれが不思議だった。それである日、ガソリン水で床拭き中のおばさんに訊いた。「そんなんで、きれいになるが ?」

 2人のおばさんの表情が変わった。「なに、言うとるが !?」すごく怒った。ぼくは、なぜおばさんがそんなに怒ったのか理由が分からなかったが、後になって気がついた。ぼくは、ガソリン臭くベタベタするそんなものでなぜ床を拭くのか不思議で質問したのだが、おばさんは自分たちの仕事ぶりをけなされたと思ったらしい。ぼくは言い訳をできずにただ黙ったままだった。

 言葉はこわい。使いかたを間違うと誤解されたり人を傷つけたりもする。ぼくはこのような失敗をいくつも重ねて大人になったが、この歳になってもまだ時々痛い失言をする。救いがたい。

頼まれて絵を描く


 入院中の3年間で絵や漫画を描いた覚えがほとんどない。それでもぼくが絵がうまいということは病棟内で知られていたようで、あるとき絵の注文が入った。

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 小児病棟の大部屋に保育園の年長さんぐらいの男の子が入院してきた。その子は汽車がすごく好きで、家のそばを通る列車をいつも眺めていたらしい。それで、「なんとか元気づけたいので汽車の絵を描いてやってくれないか」という、付き添いのお母さんの頼みだった。どのように描いたのか覚えはないが喜んでもらえたようだった。

 男の子は間もなく退院した。そしてしばらくしてお母さんから小包が送られてきた。同封の手紙には、男の子が亡くなったことと、店の本を送ったことが書かれていた。お母さんの家は七尾市の一本杉通りで古本店を営業していた。
 そのほか、年配のおばぁちゃんから仏様の絵を描いてほしいとの依頼もあった。

おぼれるように楽しんだ読書


入院中ぼくの1番の楽しみは読書だった。漫画の本はほとんど読まなかった。色んな本を自由に手にできる環境になかったからだ。

 親が送ってくれた小遣いは、みな婦長さんにあずけていた。子どもが現金を持つことは禁じられていたからだ。ぼくは小遣いのほとんどを本を買うのにつかった。書店へ行って買うということができないので、出版社へ直接代金を送って注文した。よく覚えているのは、講談社の “ 現代文学全集 “ の中から何冊も買ったことだ。
 その全集から吉川英治の「宮本武蔵」全5巻を夢中で読んだ。そのほか大江健三郎や三島由紀夫、石川達三、椎名麟三、等々。中学生の歳では難しすぎるものが多かったが、文章の世界におぼれるように楽しんでいた。

 ある日三島由紀夫を読んでいたとき、婦長さんがきて、「これ、マーくんに早いからあずかるね」と言って三島由紀夫をもっていってしまった。本はその後も返ってくることはなかった。
 ぼくは大人になってから三島由紀夫のどこが早かったのか気になって調べてみた。三島由紀夫著「仮面の告白」。たぶんこの作品がそれだったのではないかと分かった。作品のどの部分が早かったのかは伏せます。どうしても知りたい方はご自分でお読みください。

 田中雅紀(漫画家・金沢市)



スペース滝
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