12月になりました
中田虫人 Mushind N.(Blog mgr.)
店頭では色んなサンタクロースがくりだして12月が明けるようです。で思い出すのは父のこと。

父は菓子職人でした。明治生まれでしたが青春時代は大阪で洋菓子職人の修行をしました。
白山を源流とする手取川が扇状地を形成する要の地が鶴来町で、それをやや下る村の土地持ち農家の末っ子でした。裕福な田舎百姓の末っ子の彼が、大正デモクラシー期のモダンボーイらしい夢をいだいて都会に出たのも自然だったかと思われます。
結婚当時の持ち物といえば、当時珍しかった電気蓄音機と黒い扇風機にレコードのみがあった、と母が言っていました。彼の夢はケーキの出るカフェ店を持つことでしたが、今時の若者も懐きそうな夢の走りだったと言えるかもしれません。しかし後に金沢の長土塀で開業した店は喫茶店ではなく「パンとケーキ」の自家製造直売店でした。
今なら珍しくないけど、戦争前の金沢ではこれが唯一のもので、先駆者でもあったのですね。当時ここにあった桂月堂(新竪町)などのパン屋さんは、もっぱら卸売業としてのみの生業でした。パンや洋菓子が今のように普及してはなかった時代で、ハイカラさんの嗜好だったのでしょう。

大阪時代の写真を見ると仕事着のデザインがカッコよくて、パリから移住されて、今、高松町でケーキ作りされている喫茶「マダム・ルロワ」の主人フランス人のパスカル氏の衣装と同じなので驚いてしまいます。パスカルさん(写真)のは真っ白ですが、私の記憶の父のはうっすら焦げ目に汚れた、いかにも職人労働者といった趣でした。
大阪時代の会社(スター食堂と言うチエーン店)では社員全員に英語教育まであったとか。昭和初期に入っていたかもしれませんが大正モダンの気配が残っていた時代かと思います。
12月、クリスマス前はデコレーションケーキの注文と下ごしらえで忙しく、年に一度の腕の見せどころでした。ウエハースを組み立てた教会風の家を作るのを面白がって子供の頃の私も手伝ったものですが、すぐに飽きてしまうのが悪い癖。
新しい夢のあるものに興味を持つところは父親似で、工作好きは母方の祖父譲りなのでしょうが、飽き性で一所に留まれない性格は、まったくもって我が身独自に生じたるものにて、甘んじて従うほかないかなあと今更ながら思っております。(中田むしんど)
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