海部公子さんと籠神社、とアマテラスの暗号

2022年5月22日(日)
中田虫人 Mushind N.(Blog mgr.)
私は、夫の紘一氏とは1度お会いしたことがあるが、公子さんは東京に出張中で会うことはなかった。彼女は週刊誌の表紙画や焼き物の絵付けで忙しそうだった。
義父となられた硲(はざま)伊之助氏(1895-1977)は洋画団体・一水会の創始者の一人。若い頃渡欧し、その頃普通だったコンパートメント式(個室型)の汽車で、ピカソと並ぶ巨匠マチスと偶然向かい合わせに座ったことを機に知遇を得るという幸運に恵まれた。帰国後、洋画壇の重鎮となるが、50代半ばに石川県の九谷焼の絵付に晩年の仕事拠点を移すことになる。
海部公子さんが16歳の時の在京中、当時60歳の硲氏と知り合い、のちその養子となり、硲氏の没後、夫・紘一氏と石川県加賀市吸坂(すいさか)にて、1991年に「硲伊之助美術館」を開館した。のち、貸し出した一部硲作品を展示していた同地の個人美術館との返却トラブルがあって、度々紙面に取り上げられたこともある。
ところで、新聞記事での経歴を読み驚いた。なんと公子さんは、籠神社(このじんじゃ)・第81代宮司・海部穀定(あまべよしさだ)氏の姪なのだ。
私は「えっ!!」と目を見張った。この神社名は最近別のところで見た記憶がある。しかも記事にある第81代目は特に注目すべき人物だったはず、と記憶が蘇る。
早速改めて分厚い本『『アマテラスの暗号』から神社名のあった箇所を探す。
「あれっ!?」そこにある名前は「忠彦」であり、新聞の「穀定」ではない。81代ではなのか、または籠神社は別のものがあるのだろうか? ネット検索してみる。しかし、81代は穀定氏であり、彼の代で秘蔵の家系図を公にし、卑弥呼(日女子)らしき人物名があるなど日本最古の系図だと大騒ぎの末に、家系図では初の国宝に指定されたという、古神社・元伊勢宮丹後之国一宮・総社籠神社、に間違いないようだ。
すると『アマテラスの暗号』に書かれた人物名だけが異なって書かれていることになる。
改めて本の帯に目をやると
「※この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいています」とあって、「人名」のみが抜けているではないか!

『アマテラスの暗号』伊勢谷武(いせやたける)著・廣済堂出版は学術書ではなく小説なのだ。実証写真や最新データと発見を散りばめた豊かさを持ちながら、この”日猶同祖論”は学術書ではない。私が当書を知るきっかけになったネット対談をリンクする:▶️ 『アマテラスの暗号』ユダヤ人と国際金融資本。
日猶同祖論を初めてブログで紹介した頃私は懐疑的だった(▶️「超古代史の謎」)が、今は肯定派に転向した。
しかし問題はある。小説の主人公と違い、私のルーツとは無縁の話、つまり日猶同祖論というのは、全ての日本人がユダヤ人と同じ先祖を持っているという文字面の話ではない。国体と民族という異なる概念の混合物に思える。
この手の情報に接すると、私のマインドはつくづく縄文系だなあと思うのだ。かように度々古代や神社を語りながら、日本という国家を統一していったエリートたちとはニアミスこそすれ、接触することは遂になさそうなのだ。故人になられた海部公子さんもしかり、という話。
かつて隣県の植樹祭で新聞取材の画家を託され、報道陣に紛れての待機中に、ほんの4メートルほど先を背を丸めてゆっくり横切られた昭和天皇を身近に見たが、いかにも存在感なく頼り気ない幻像の一瞬で、10メートル以上も先の遠くの出来事に感じていた。我が遺伝子レベルは縄文系庶民ベッタリの気がするのだ。

だがそれはなさそうだ。七尾市在住の某氏がポツリと漏らされたことがある。神社の方々は一般人と血縁を結ぶことがないんだよなあ…と。真偽はさておき、それでいいのだと私は思う。高貴な方々だけが日本国をつくっているのではないし、人がまとまろうとすれば中心になる何かを作ったり得たりしなくてはまとまりにくい。まして最果ての島に吹き溜まった混合民族を国にまとめるには、出来るだけ平等感のある社会の上に、実権力の希薄な”象徴”的中心があるという安定感づくりは悪くない形に思える。
実権力が暴走する時は自らを神格化してでも暴走するだろうが、良いに悪いはつきもので、要は常に禍なきよう意を配る努力を怠ってはいけないのは何事にも言えることではなかろうか。