和多利志津子さん

中田虫人 Mushind N.
和多利(わたり)姓は珍しい、全国で70人ほどという(by苗字由来net)。
私が和多利さんに会ったのは43歳の夏(1987年)で、彼女は11歳上、もう38年も昔だ。
日本のバブル景気が始まっていて一般人を巻き込んだ美術・骨董ブームが画廊、画商の乱立を生じたが渋谷神宮寺前の「ギャルリー・ワタリ」はすでに14年間の歴史があった。
実は金沢市内に一部作品の保管所が秘密裏にあるとの噂を聞いていた。興味をそそられたが、私とは縁がなさそうだった。
ところがその夏、私は彼女からの連絡を受け、金沢駅へ車で出迎えに。東京からはマクファーソン氏と2人の子供が同行しており金沢市内の観光案内をした。彼は米国の現代美術家ジョナサン・ポロフスキーの制作チーム「パロマ」の一員で、金沢行きを希望したのだという。和多利さんは国際的なアーティストを扱っていたが、面白いことに英語が得意とも言えず、美術に理解のある金沢人通訳を探していた。戦争時代の教育環境では無理もないが、私とて似たような者(それ以下)なのに美大の留学生から打診された時くそ度胸で承諾。その際の私は立派な無責任男に変貌、チャンスは逃すな、だった。
色んな失敗や思い出で赤面だが、謎の”現代美術保管所”でスキヤキをご相伴した。で、その外観は洋風だが中は大きな梁が露出の和風の大空間で、囲む2壁の上方にはキース・ヘリング(1958-90)の手頃な大きさの絵がずらりと並び、下方は数十号のリチャード・リンドナー(1901-78)が何点も掛かっていた。それを見たマクファーソン氏の言葉を失った驚きの表情を今も思い出せる。
忙しい中から後に「またお会いできれば」との礼状をいただいた。私は恐縮の返信をした気がするけど、気にはなりつつ、再開の機会はついに来なかった。
さて先日、古書店で『追悼・和多利志津子』(2013年刊、800部限定)と遭遇し買った。2012年に80歳で亡くなられていた。

以下は今回既述のアーティストたちの作品が見れるサイトリンク。興味があればどうぞ。
▶️ 「キース・ヘリング展」
▶️ リチャード・リンドナー
スペース滝

